糸繋ぎ、四季踊る 冬の章

2019年4月30日火曜日

糸繋ぎ、四季踊る

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   1
   
吐く息が白くなる頃に、少年の人形はその形を見せた。白い木の肌が磨かれて、木製特有のつやを放つ。どこもかしこも完璧というわけではないが、その人形の仕上がりは、少年にとって納得できる状態のものだった。
残りは、人形の体に装飾を加えて、糸をくくりつけるだけ。とりあえず今は、布を裁断して服を作ることから始めている。
「師匠、これはこんな感じで大丈夫ですか?」
 少年に言われ、老人は彼のもとへと向かう。意外というわけではないが、少年は針仕事の手際はよかったのでここ最近は完全にそれぞれ別で作業を続けている。
「あぁ、いいだろう。問題はない」
「やった! ありがとうございます」
 老人はそれには軽くうなずいて、すぐに自分の作業机に戻った。老人の机にはすでにいくつかの人形が並べられていて、その作業の多さが今の少年にははっきりと分かる。
「師匠、そんなにたくさんよく一度に作れますよね」
 感心したように、少年は声を漏らす。老人の仕事は、少年のそれとは比べ物にならないほど早く、正確だ。
「単に作業を残すのが嫌なだけだ。作れるなら、一度に作ってしまったほうがいい」
「それって何か理由があったりします?」
「別に、ただの習慣だ。昔からずっと、他にすることもなかったからな」
 老人の言葉に、少年は深く頷いた。その言葉がすんなりと納得できるぐらいには、老人の生活は人形作りで成り立っている。
 そこまでの話を、少年は嬉しそうに聞いていた。にこにこと笑っている少年に、老人は訊ねる。
「……なんだ」
「いや、最近の師匠はいろいろ話してくれるなぁって」
「……」
 先ほどまで忙しなく動いていた老人の手が、止まる。恐ろしいほど驚愕に顔を歪ませて、老人は少年を見る。少年はまるで気にした風もなく、そのまま話を続けた。
「うれしいです。最初、嫌われてるんだと思いましたから」
「別に、今がそうじゃないとは限らんだろうが」
「でも師匠、おれのこと嫌いじゃないですよね?」
「……」

 それに返して、老人は何も言い返せない。少年もそれが分かっていたように、一層顔を破顔させた。
「おれ、師匠の話もっといろいろ聞いてみたいです」
「……お前は、あの時以外で自分のことをしゃべってないだろうに」
 自分ばかり語らせるなと、老人の目は訴える。多少恨みがましい念も篭ってはいたが、少年はそれをまったく理解しなかった。
「あ、おれですか? えっとですね、今朝は朝食としてバタートーストを……」
「なんでわしがお前の飯の内容を聞かせられにゃいかんのだ」
「え、えーとじゃあ……この間父さんが……」
「彼女は、大丈夫そうなのか」
少年は驚いて、老人を見る。言ってから少し恥ずかしくなったのか、老人はそっと視線を外した。それがなんだかおかしくて、少年はさらに笑う。
「師匠、心配してくれてたんですね」
「ただ覚えとっただけだ」
老人の気遣いに喜びを覚え、しかしすぐに少年の顔色がえらく沈んだ。その様子に気づいても、老人はすぐに言葉をかけられない。ただじっと、少年の言葉を待った。
「……最近、あまり調子がよくないんです」
 少し経って、少年はゆっくりと彼女のことを話し始める。
「ちょっと前までは毎日会いに行っていたんですけど、近頃は起き上がれない日のほうが多いみたいで」
 普段の少年からは考えられないほどに、沈みきった声音だ。彼が、その幼馴染の少女を心から想っていることがよく分かる。それゆえに、ただ痛ましい。
「毎日少しずつ、寝てる時間が長くなっていってるみたいなんです」
 ベッドに横たわる、ただ一人の女性を想いながら、少年は語る。そんな少年を見ながら、老人もまたただ一人の女性のことが、脳裏を掠めた。今でも胸が締め付けられるような、身が削られるような、想い。
「……なら、お前さんはもう少し手を早くするべきだな」
「え?」
「彼女に渡すんだろうが。……早いほうがいい」
「……はい」


   2
   
 作業部屋に残された未完成の少年の人形を、小洒落た人形と木面の人形がじっと見つめている。新しい、しかし自分たちとどこか違う人形が、彼らの興味を引いた。
「この子、動かないの?」
 小洒落た人形が、尋ねる。目の前にある少年の人形にはもう服が着飾られており、その姿はとても愛らしかった。淡い水色の服に白いフリルが、暗い部屋によく映える。
 小洒落た人形の問いには彼女が答えた。
「まだ動けないわよ。手足が繋がってないでしょう」
「へぇ……」
「どうかしたの?」
「ううん、なんでもない」
 少年の人形を興味深げに見ながらも、彼はどこか上の空のように彼女には見える。それは隣にいる木面の人形も同じのようで、どちらも何か別のものを気にしているようだった。
「どうかしたかい?」
 ノッポがふたりに近づいて、訊ねた。しかし、ふたりは言いづらそうにお互いの顔を見合わせる。
「なんか、胸がちくっとする、気がする」
 答えたのは、木の人形のほうでした。
「胸が、痛いの?」
 重ねて訊ねる彼女の言葉に、ふたりはしっかりと頷く。それを見たノッポはひとり納得した心地だった。
「なるほどね」
「あなた、何か知ってるんでしょう」
 彼女の言葉に嫌な空気を感じて、ノッポはいつものように大仰に肩をすくめた。
「単純なことだよ。あの子との糸が切れても、あの子の人形である事実は変わらない。だからほんの少しだけ棘が残るんだ」
「棘?」
 ふたりの問いに、ノッポの人形は答え続ける。
「君達の胸には、あの子に刺さった棘がある。それが疼き出したんだろう」
「じゃあ、ふたりもちくってする?」
 小洒落た人形の言葉に、彼女とノッポの人形はそれぞれ別の言葉を返す。
「……もう慣れてしまったから、気付かないわ」
「僕にはないよ。そういう時期だったんだ」 
 ノッポの言葉が理解できないのか、ふたりの幼い人形はそれぞれ首を傾げる。それを見たノッポが、ふっと小さな声で笑った。
「……そうだね、少し昔語りでもしようか」
 その言葉に、驚いたのは彼女だった。
「やめなさい。過去のことなんて思い出して何になるの。痛みが増すだけじゃない」
「そうでもない。それだけじゃない。棘が残り続けるというのはね、よくないことだよ」
「その棘を抜くために、周りの肉ごとえぐり出そうというの」
「場合によっては、そうなるだろう」
「……あなたが考えていること、分からないわ」
「そうだろうね」
「私の気持ちも、あなたには分からない」
「そうだね」
 怒る彼女をからノッポは少し距離を置く。彼女とは違う、人形たちのほうへ彼は移動した。
「でも、君の気持ちも一つではないはずだ」
「……何が言いたいの」
 その問いかけに、ノッポの人形はあえて答えることはない。
 不安そうなふたりを前にして、彼は大きく両腕を伸ばす。まるで大きなカラスのように、黒い腕が広がった、
「さあ、物語を始めよう」



「なんて顔をしているの」
 真っ白なベッドの上で、真っ白な顔をした彼女が笑顔でこちらを見つめていました。彼女はこちらをしっかり見ているのに、どうしてでしょう。彼女の瞳に、自分の姿は映りこんでいませんでした。
「……そんなにひどい顔をしているかな」
「ええ、とっても」
 彼女の言葉が本当かどうか、分かりません。ただ、彼女が言うならそうなのだろうと思いました。
 彼女の体が壊れたのは、ほんの一瞬のことでした。
 自分のもとへと駆けつけていた彼女の姿が消えて、その後で、蹄の音と車輪の音が耳に届きました。次の瞬間には、地面が赤く染まっていて、彼女の体が少し離れた所に倒れていました。
「あなた、泣いているの?」
 彼女に尋ねられても、自分がどういう状態なのか理解ができない。だから素直にそう答えました。
「……わからない」
「嘘ね。あなたは昔から声を出さずに泣くけれど、私にはちゃんと分かるわよ」
 何故か、彼女は笑って言いました。すでに光のない瞳で、はっきりと。これもやはり、彼女が言うからそうなのだろうと思いました。
 本当は自分のことなど、どうでもよかった。それよりも彼女のことが心配で、けれどどう心配していいのかも自分には分からずにいました。後になってから、彼女が自分に心配をかけないようにしていたのだと気づきました。
「ねぇ、あなた……」
 普段よりずっとずっと細い声で、彼女は自分を呼びました。今にも消えてしまいそうだと思って、しっかりと彼女の手をとりました。それしか、できることが思いつかなかった。
「お願いがあるの、聞いてくれる?」
「……なんでも。君が望むことなら」
 彼女の言葉には、「最後の」という意味が含まれていることは分かっていました。それを聞いてしまえば彼女の死を認めてしまいそうで、それでも彼女の心を無駄にできなくて、そう答えてしまいました。
 彼女はまた、笑いました。
「じゃあお願い。――しあわせになって」
 それは、その時の自分にとって、ひどく残酷な言葉でした。それでも、彼女の願いを否定したくなくて、何も言えませんでした。
「泣くのは、やめて……また笑って?」
 どんどん、彼女の声が消えていきます。彼女の手を握っているはずなのに、そこに彼女はいないかのように空虚でした。
「……分かった」
 搾り出すように言えた言葉はそれだけでした。彼女に言えた言葉は本当にそれだけしかありませんでした。
「さようなら」
 最後まで、彼女は笑っていました。
 彼女の言葉に、僕は何も返せませんでした。



 ノッポの話が終わって、彼らのもとに静寂が訪れる。
 今の話が何を意味するかは彼らには、老人の分身たる人形たちには痛いほどによく分かっていた。
「やっぱりあなたは悪趣味よ」
 沈黙を破るのは、彼女だ。ただ一人、彼女だけはこの状態を、ただの昔語りで終わらせることはできない。
「そうかな」
「そうよ!!」
 飄々としたノッポの人形に、彼女の怒気が炸裂する。それは人形の叫びにしては余りにも熱の高い言葉だ。
「こんなこと話して何になるの!? ずっとずっと苦しむぐらいなら、忘れてしまったほうがいいじゃない!!」
 悲痛という声が、夜の部屋に響いていく。
「君はそう思うのか」
「ええ、私はそう思うのよ」
「僕の考えは違う」
「私とは見てきたものが違うでしょう」
「違うだろうね」
「覚えていたら、ずっと苦しむことになるの。最後が来るまでずっと」
「君はそれを不幸と思うのか。覚えていることが「不幸」だと」
「ええ、そうよ。忘れることが「幸福」よ」
 彼女が彼に願ったのも、彼自身の「幸せ」だった。だから、幸せになるにはすべて忘れてしまえば、それさえすればいいのだ。辛いことをすべて忘れてしまえば、悲しまなくて済む。もう二度と、胸が痛むこともない。
「……違うと、思う」
 彼女の勢いを押し止めたのは、小さな彼の一言だった。
「え?」
「ぼくは、誰かと関わらなければ寂しくならないって思ったけど、忘れたいとは思わなかった」
「ぼくも、胸がすっごく苦しいけれど、その気持ちを忘れたいなんて思わなくて……その」
 小洒落た人形と、木面の人形がお互い歯がゆそうに言葉を閉ざす。伝えられないもどかしさに、思わず体がゆらゆらと動いた。
「ねえ、君はたしかにあの子の人形だよ。そのことは事実なんだ」
 その声音は、諭すようでいて、なぜかどこか切なかった。
「だけど、君はきっとそれだけじゃない」
「どういうこと?」
「そういうことだよ」
「説明になってないわ。はっきり言いなさいよ」
 苛立つように、彼女は声を荒げる。ノッポはそれを気にしなかった。彼はまさしく、ただの人形だった。
「答えはきっと君の中にしかない。僕もただ、分かるというだけだ。明確な意味があるわけじゃない。ちょっとした感覚だよ」
「なぜあなたにそれがあるの」
「僕は君を知っているから」
 彼女を見つめて、彼は言う。
「ねぇ、君は最初何を考えていたんだろう。僕と初めて会った、作られて間もない頃の君は何を思った?」
「人形の考えが変わるわけないでしょう。私たちに時はないの。あるのはあの子だけよ。糸が切れた時点で、私の心は止まったの」
「たしかに人形はそういう物だ。だが、そうでないとも言える」
「どういうことよ」
 人形の問いに、彼は答えない。だから、彼女に向かって、問いを投げた。
「ねぇ君は……、「君」は一体あの子に何を望んだのかな」
「だから、私はっ」

『幸せであることを』

 人形の声ではない音が、彼女から漏れた
「……あ、れ、?」
「あの子はずっと苦しんだ。あの子は、彼女を亡くしたことをずっと悲しんで、泣いていた」
 困惑する彼女を尻目に、ノッポは淡々と話をする。
「彼女を求めるあの子の心が、君を通して呼びかけたんだ」
 目の前にいるのは一体何? 人形? 心?
 いや、これは――
「彼女を求めるあの子の声と、あの子を不憫に思う彼女の心がいつしか重なってしまった。結果として」
 もういいと、チビの人形は力なく首を振った。自分はもはや人形ではなく、人形に彼の心が宿ったわけでもない。この身は、この人形(ひとがた)は。
「私の体は、「彼女」を閉じ込めてしまったのね」
 かたんと音を立てて、小さな人形が床に崩れ落ちる。石膏の体が削れ、小さな破片がその場に散らばった。
「出来た時の私は……「ぼく」は彼女がいなくなってしまったのが悲しくて、怖かった。二度と、二度とこんな思いはしたくないと、そう思っていた」
 「彼女」ではない、老人の人形が一つ一つを吐き出すように言葉を繋ぐ。
「もう、誰にも出会わなければ、親しくならなければこんな思いをしなくて済むと思って、だからずっと、一人でいようとした」
 語り続ける老人の人形に、薄く影が重なった。二十歳前後の、美しい女性の影。それが誰かは、彼らはみんな知っている。
『私は、それを一人で見ていた。いつか、またあの人が笑ってくれるのを信じて、ずっと』
 今度は、しっかりと女性の口から声が聞こえた。
『でも、あの人ずっと一人で泣いてるの。私のことを想って泣いてくれているのよ』
 彼女の目は、すでに人形たちには向けられていないのかもしれない。たった一人の男性を想い、彼女はただ、慟哭する。
『見ていられるわけ、ないじゃない。本当はすぐにでも駆け寄って、抱きしめてあげたかったのに。私にはもう、体がないのよ!』
「それで、人形の中に入ったの?」
「ずっとそばにいたかったの?」
 ふたりの幼い人形の問いに、彼女は深く頷いた。
『この子の中に入った時に、あの人の気持ちが溢れてきたの。あの人はひどく傷ついていて、ボロボロだった。全部、全部私が原因よ。だから、私は、あの人に忘れて欲しかった。それこそがあの人の幸福だと』
「あなたは、人形の意志が多少なりともあの子の精神に影響を及ぼすのを知って、このことをずっと避けていた。そして、――君はどこかでそれを良しとしなかった。だから、あれだけ感情を高ぶらせた」
人形の視線がチビの人形へと集まった。閉じ込められた彼女ではなく、もとの人形の意志に。
「ええ、だって、忘れたくないと思っていたから。それだけはずっと変わらなかった。苦しくても、忘れるなんてできない」
人形達は、そろって頷いた。
それこそが、老人の、「あの子」の、彼女が愛した男の願いだった。
『私、間違っていたのね』
彼女の言葉にノッポの人形、首を横に振る。
「それでも君が、あの子を強く想っていたことは変わらない」
その言葉を聞いて、チビの人形の体に罅が入る。最初は小さく、徐々に体全体に。
彼女は少年の作った人形を見て、そして二体の人形に向き直る。
『ねぇ、もう私がいなくても大丈夫?』
「こわいけど、大丈夫」
「寂しいけど、大丈夫」
『そう……』
 冬の部屋の中で、一輪の花が咲く。
 やはり、彼女は最後まで綺麗な笑顔だった。
『ありがとう』
 出会ってくれて、好きになってくれて、愛してくれて。
 忘れないでいてくれて。
 小さな人形の体に罅が広がる。音を立てて、時間をかけて、崩れていく。小さな粒になって、大きな欠片になって、床に転がっていく。首が落ちる。透き通っていた硝子の瞳に傷が入った。
 もう、その瞳が輝くことはなくなった。


   3

 気がつくと、頬になにか熱いものが流れている。目が覚めた老人は、まずそのことに気がついた。
 何か夢でも見たのだろうか。そう思ったが、すぐに何かがそれを否定する。きっと、夢ではないと確信めいた予感が彼の中にはあった。
 ベッドから体を起こして、老人は作業部屋へと向かう。それもまた、無意識の中で生まれた確信だった。
 扉を開け、中に入るとすぐに異変に気がついた。部屋の中央、その床の真ん中に人形たちが座っている。彼らは間違いなく老人が飾り棚に置いていた人形たちで、そのうちの三体が何かを囲むように円を組んでいた。
 囲んでいる何かはすぐに分かった。
 粉々に砕かれた石膏の粉と、少しのガラス。そして、裾の膨らんだドレス。この円陣は、きっと彼女を追悼するためのものだ。
 よたよたとふらつく足で、老人は人形たちのもとへたどり着いた。形を失った人形に、老人はただ涙した。
はっきりと自分で分かる。今の自分は泣いていて、きっとひどい顔をしているんだろう。あの時彼女が言っていたみたいに。どうしようもなく。
老人は涙を抑えることもせず、ただ人形たちを抱きしめた。
ずっとずっと、彼の心はかけていたのかもしれない。彼女が事故にあったあの時から。幸せを願われたあの時から。
――彼女が亡くなったあの時から。
 あの時生まれた心の隙間を、流す涙が埋めていく。
『さようなら』
 あの時、彼女はそう言った。笑顔で、老人の幸せを願いながらそう言っていた。
「……さようなら、人」
 あの時は言えなかった、別れの言葉を。
 そして、ありがとう。
 出会ってくれて、愛してくれて。

 ――幸せを、ありがとう。


   4

 いつもの時間になって、少年は老人の家を訪ねた。もう慣れた木の扉をリズミカルに叩く。
「おはようございますししょ……う?」
「あぁ、おはよう」
 穏やかに挨拶を返す老人を、少年は唖然と見つめる。いつもと同じだが、どこか前とは違う気がした。
「……師匠、なんか」
「どうかしたか?」
「……いえ、なんでもないです。今日も一日、よろしくお願いします!」





END

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