そこは暗い荷馬車の中だった。
あたりに積まれた木箱がたえずカタカタと音を立てる。規則的な振動のほかに、時たまガタンと大きな揺れも生じる。何か小さな石にでも乗り上げたのだろう。
その揺れ続ける荷物の影に、二人の子供が小さく座り込んでいた。
二人の子供は同じ帽子を被り、よく似た顔立ちをしている。片方がくせ毛の少年で、もう片方は綺麗な長い髪を持つ少女だ。
「ねぇ、勝手に乗っちゃって本当に大丈夫かな……」
少女が連れの少年に声をかける。周囲に声が漏れるのを気にしているのか、それはひどく小さな声だ。
「大丈夫だ、あいつらまだ気づいてない」
同じく小さな声で、少年は言う。
少女の不安を取り除こうとしっかりとした口調ではあるが、声の震えが彼自身も不安を感じているのであるとわかる。
「でも……もし見つかったら……」
少女は帽子の端をつかみ、さらに小さくなるかのようにぎゅっと下へと引っ張る。彼女の体が小さくふるえているのが、隣にいる少年に伝わっていく。
「そのときは、…………」
言葉を切って、少年は視線を下へと落とす。そうなったとき、自分に何ができるだろうか。
そこまで考え、彼は少女の手を強く握った。
「……なんとか、なるよ。だから安心しろ、ルシエラ」
握りしめた手がふるえているのが、彼女にはよく分かる。
それでも励まそうとしてくれる彼に、心が痛んだ。
「うん……。…………ごめんね、ユリウス」
絞り出すようなルシエラの声に、ユリウスは沈黙で返した。
カタカタと荷馬車は揺れ続ける。この場所には彼ら二人しかいない。
わずかに外から漏れる光しかない馬車がどこに向かうのか、彼らはそれも知らない。
そんな不安を身に抱え、子どもたちはそっと肩を寄せあった。
お互いのふるえを感じながら、それが少しでも止まるように。
大きな音を立てて、馬車が揺れた。
◆
大陸唯一の都市国家であるリヴィラの街は高い塀に囲まれている。それは外部の侵入を拒絶するための外壁ではあったが、淡い色のおかげか圧迫感はない。
都市の入り口は東西南北に分かれている。その中で街道に面した東門は、毎日のように人々が出入りするにぎやかな場所だ。行き交う人々は巨大な行商人たちのキャラバンであったり、反対に一人で気長に各地を回る旅人だったりと様々だ。立ち振る舞いや言葉遣いなどからも、決してこの近辺の人間だけがこの場にいるのではないと分かる。
もちろんこうした人の出入りは自由自在、というわけではない。各門には都市警備隊員が配備され、人の出入りを管理していた。
「行商許可証、確認終了しました。持込み物の確認が終了するまでしばらくお待ちください」
比較的大きな東門の一角で、赤と白を基調とするリヴィラ警備隊服を身にまとった男が、都市へ入ろうとする行商隊の入国審査を行っている。審査は許可証などの確認するための隊員一人と、荷物を確認する隊員二人の三人一組で行われる。今日は二組の警備隊員が待機していた。
一つの行商隊が審査を終えて門の中へと消えて行くのを見送り、先ほどの男はほうと息を吐く。平均より少し高めな身長と、この地方でも珍しい黒の髪色を合わさり、その男はほかの警備隊員たちの中でも一際目立った存在だった。身体はほどよく鍛えられているが、決して屈強な戦士という感じではない。どことなく柔らかな表情は、見る人に親しみを与えていた。
「あ、イツキー」
そんな彼に、とある男が声をかけた。
イツキと呼ばれた警備隊員はその声の主をさっと確認する。
その男の外見は彼とはまるで正反対だといっていい。背はイツキよりはるかに小さく、体つきはどちらかと言えば細身。頭は明るい金色だ。
イツキは人懐っこそうな彼の顔を見て、ふっと笑う。
「あぁジーンか。ほら、許可証だせよ」
その言葉とともに少々乱雑に出された手を見て、ジーンと呼ばれた男は苦笑する。
「お前、扱いが雑すぎるだろ」
「そりゃ別に丁寧にする必要もないからな」
「ひでぇなおい」
意地の悪い顔をするイツキの言葉に、ジーンは文句を言いながらも笑う。彼らの間には確かな信頼関係があるのだろうということがうかがえた。
ジーンは洋服のポケットから許可証と積み荷の内容が書かれた羊皮紙を取り出し、イツキに渡した。イツキの横に並ぶとまるで小さな子供のような彼だが、リヴィラ出身の優秀な商人の一人である。
イツキは渡された許可証を丁寧に確認し、同グループの警備隊員たちに羊皮紙を渡す。隊員たちはリストと実際の積み荷が正しいか、馬車の中を点検しだす。都市内に不審物を持ち込ませないための処置だ。
「はいよ、荷の確認が済み次第通れよ」
「はいはい。しっかし久々だなー。二か月ぶりぐらいか」
「そうだな。旅先で迷子にはならなかったか?」
「子供扱いすんじゃねえよ。背が低いのは仕方ねえだろ」
ふてくされたようにジーンはふいと顔をそむける。
ジーンはこの世界でいわゆる小人と呼ばれる種族の人間である。成人しても普通の人(特別な特徴を持たない種族の人間を指す)と比べると子供のような大きさまでにしか成長しない。リヴィラではさほど珍しくもないが、よその国では珍しい存在であり、ただの子供だと思われることも少なくない。
この世界には様々な特徴ごとに種族が分けられてはいるが、世界中の人がその区別を正確に区別しているとは言い難い。そんな中でリヴィラは多種族が暮らす場所として知られていた。
「まったく、この身長だとちょっと人ごみに紛れただけでも前が見えなくなるからな。厄介だ」
「そうだな、靴の底上げるにも限界あるだろうし」
ジーンは盛大にため息をついた。自分の生れに文句をつけるつもりはないが、やはり不便を感じてしまうのは仕方がない。
「そういやイツキ知ってるか?」
「? 何を」
ジーンの唐突な問いに、イツキは首をかしげる。
「いや……なんか最近半獣人が奴隷商から逃げ出したんだってよ」
「半獣人?」
この世界に存在する種族には、『獣人』と呼ばれる者たちがいる。言葉通り、獣の姿を持つ人のことだ。二足歩行する犬や猫を想像すると分かりやすい。
『半獣人』というのはそんな獣人と普通の人との間に生まれた子どもを言う。彼らは普通の人の体をベースに、親である獣人の特徴を一部受け継ぐと言われていた。
「あちこちで噂になってるみたいだぜ。……悪い意味でな」
「まあそうだろうな。普通はかかわり合いになりたくないと思うだろうよ」
イツキは嘆息した。
基本的に半獣人を含め種族混血は禁忌とされる。このあたりはまだマシだが、国によっては公的に狩られる立場になりうることすらある。
禁忌や厄介ごとに関わりたがらないのは人の常だ。もちろん世の中には物好きもいるが、そういうやからのほとんどは奴隷商に手を出すような者たちだ。おそらく逃げ出した半獣人もそのような人々の手に渡る予定だったのだろう。
そこまで思い至って、イツキは嫌な気分になる。見ればジーンも苦しげに顔を歪めていた。
リヴィラはいつも多くの人で賑わう豊かな場所だ。そのほかの国もまた、そうだ。人々は毎日、保証された自分の身分の上で生活している。
しかし、そこから少し目をそらしただけで、混血者や奴隷など身分を保証されない人々の存在が見えてくる。
「まあ、俺らのほうでも気にしといてやるよ。もしかしたらこの街にもくるかもしれねえしな」
まだ顔をしかめ続ける友人の頭をイツキはくしゃくしゃとなでながら言う。言ってることはただの気休めだ。
もちろん実際にその半獣人がリヴィラに来たら保護はできる。ここはそれができる場所だ。
「……おいこら子供扱いすんな」
ジーンはすぐにイツキの手を払いのける。その顔には先ほどのようなかげりはもうなかった。
「積み荷確認終わりましたよ」
二人がそうして話していると、一人の隊員が声をかける。イツキの後輩で生真面目な男だ。
「あぁ、じゃあ俺行くわ」
「はいよ、フールさんによろしくな」
笑って手を振り、ジーンは行商隊に指示を出しながらリヴィラの中へと入っていった。
ジーンが去ってからも、イツキは黙々と仕事を続けていた。
すでに日は高く上り、真上に近い。夏は過ぎたといってもまだ残暑がきつく、汗が流れていく。朝に食料を与えたきりの胃がそろそろ空腹を訴え出す時間だ。
今、門をくぐっていった人々を見送ってから、街道のほうを見る。もう人影は見あたらない。この時間帯は今となりの班が審査している行商隊で最後だろうとイツキはあたりをつけた。
隣の行商隊はジーンのとは比べ者にならない規模のキャラバンで、人の数だけ見ても文字通りけた違いだ。さすがに一班ですぐに審査をできる規模ではない。特に向こうの班には一人最近警備隊に入った新人隊員がおり、効率的に作業が進んでいるとは言いがたかった。
「イルニア、向こうの手伝い行くぞ。エレさん、こっちのほう頼みます」
同じ班の同僚と先輩に声をかけ、イツキは隣の応援に向かう。
普段からよくあることなので、すぐに隊員の一人が確認するためのリストを渡してきた。どうやら鉱石のたぐいを運ぶ馬車のようだ。
イツキは担当する馬車にさっと飛び乗る。御者や商人は一応声をかけるが、あまりいい顔はされない。ここまで厳密に積み荷を確認するのはリヴィラぐらいなもので、反発が多いのも事実だ。それでもリヴィラを訪れる商人が多いのはリヴィラ特有の技術力の品がどうの、という半紙を前にジーンから聞いた。詳しいことまでイツキは理解できなかったが。
馬車の中に積み上げられた箱を一つずつ開いて中を確認する。リストにない品物が一つでもあれば、それは密輸になる。もちろんそうめったに起こることではないが。
そうして、手際よく確認作業を続けていると、イツキの視界に妙なものが映り込んだ。
お互いに寄り添いあって静かに眠る、二人の子どもだ。
片方はくせ毛の男の子、もう一人はまっすぐ伸びた長い髪を持つ女の子だ。お揃いの帽子をかぶり、顔立ちはとてもよく似ている。
「は?」
イツキは手に持つ紙に目を落とすが、もちろんそこには子どもなど書いていない。どれも鉱石の名前ばかりだ。いや、確認するまでもなく、こんなところに子どもがいるのはどう考えても異常だ。
とりあえず彼らを連れ責任者に事情を聞くべきだろう。
イツキは子どもたちのほうに近づくために、足を向けた。
「!」
足音や振動でも感じたのか、それともやたらと鋭いのか。イツキが向かおうとした瞬間、子どもたちはパッと目を覚ました。そのままイツキを驚愕した顔で見る。
「あーおまえらちょっと」
イツキが声をかける。それを合図に、少年は少女の手を持って立ち上がり、イツキの横をすり抜けようと駆けだした。
子どもにしてはあまりにも思い切りのいい行動に、イツキは反応が遅れる。子どもたちはそのまま馬車から飛び降りる。
しかし、イツキもそれを見過ごすわけにはいかない。すぐさま後を追い、馬車から数メートル離れた場所で彼らを捕まえた。
「っ! やめろっ! はなせ!」
少年のほうがじたばたと暴れる。少女のほうはおとなしくしているが、その顔は気の毒になるほど青くなっていた。
とにかく少年を逃がさないように必死になっていると、異常に気づいた隊員や、行商人たちが近づいてきた。
「イツキ! 何があった!」
一番にイツキに駆け寄ったのは、今日この場での責任者でもある、壮年の警備隊員だ。彼はイツキの腕の中にいる二人の子どもを驚愕した顔で見つめる。
「すいませんクリフさん、ちょっと、ってこら暴れるな!」
イツキはなんとかクリフに事情を説明しようとするが、少年が暴れてそれどころではない。なんとか彼の動きを止め、報告を始めた。
「そちらの馬車の奥に、この子たちがいたんです。ちょうど箱の陰に隠れる位置です」
該当位置を指しながら、イツキが説明する。その間に、少し恰幅のいい男性が近づいてきた。
「いったい何事ですか!」
焦った顔でやってきたその男の顔はイツキにも見覚えがある。この行商隊を率いる、そこそこ名の知れた商人だったはずだ。名前はたしか、アベルハイドと言っただろうか。
ふと気がつくと、そのアベルハイドにも、この行商隊に所属する商人や御者、傭兵たちまで集まってきている。
「アベルハイドさん、あなた方の馬車の中にこの子どもたちが乗り込んでいたようです」
突然の状態にあわてる商人に、クリフは冷静に状況を説明する。年長者である彼の落ち着いた態度に、イツキも少し気持ちを鎮めることができた。
「子ども……? わ、わしは知らんぞ、そんな……」
事態を知ってアベルハイドはあわてふためいた。荷物に申告外の物品があれば、それは立派な規約違反だ。信頼が重要な彼らにとって、そのような疑いをかけられることは汚点となりうることなのだろう。
「落ち着いてください、アベルハイドさん。我々も、即座にあなた方を疑うわけではありません」
諭すようなクリフの言葉に、アベルハイドは青ざめた顔でこくこくとうなずいた。こんな調子で商人などつとまるのかと思うが、今はそれどころではない。
「それで、いったい……」
途方にくれた顔するアベルハイドに、イツキはもう一度状況を説明する。
「この馬車に子どもが乗っていたことはご存じないんですよね?」
「とんでもない! わしらは子どもをつれることなどしないし、まして大事な商売道具と同じ馬車に入れるなどありえない!」
アベルハイドは力強く言い、ほかの商人たちなどにも視線を送る。皆一斉に首を縦に振った。誰もこのことを知らなかったらしい。
「そうですか」
クリフは彼らの主張を聞いて、イツキの方を、正確には子どもたちの方へと向きなおった。
「それで、君たちは? あそこで何をしていた?」
クリフに話しかけられ、子どもたちは一度動きを止める。しかし、少女は口を開くことができないほどおびえているし、少年はクリフをにらみながら逃げる機会を伺っているのがイツキにはよくわかる。
彼もそれがわかったのか、あきらめたように目をそらした。
「アベルハイドさん。今子どもたちに事情を聞くのは無理そうです。彼らが落ち着いて事情を聞いてから処遇を……」
「子どもが落ち着いてから、だと!? 冗談じゃない。こっちはここでの仕事を終えたら即刻次の場所に向かわないといけないんだ!」
クリフの提案をはアベルハイドは大きく首を振って拒絶する。さきほどまで真っ青だった顔色は真っ赤になっていた。
そして刺さるような視線をイツキに、ではなく子供たちへと向ける。
「要はこの子供らをあんたらの街に入れなければいいんだろう! おい、そこのおまえ! こいつらをさっさと奴隷商にでも売り払ってきてくれ!」
アベルハイドは大声で部下の男に命じた。
奴隷商の言葉を聞いた時に、子供たちの体がこわばるのをイツキは感じた。
「落ち着いてください、アベルハイドさん。さすがにそれは……」
「わしはこのガキのせいでとんだ恥をかいたんだ! これぐらいしても罰は当たらん!」
クリフにくってかかるアベルハイドを見て、イツキは内心ため息をついた。たしかに自分の知らぬところで起こった不祥事に冷静でいられないのはわかるが、これでは八つ当たりもいいところだ。
「わかりました、このことはこちらですべて処理します。アベルハイドさんはいつも通り……」
「これはわしのとこで起きた問題だ! わしがこいつらを処罰して何が悪い!」
激しく怒り狂うアベルハイドにあたりが困惑した空気に包まれる。どうも彼は感情に左右されやすいタイプのようだ。商人に向いてない、とイツキは呆れた。
「おい、そこのおまえ! そいつらをこっちによこせ!」
アベルハイドは怒りの矛先をクリフからイツキへと向ける。そのことで、子供たちの体がさらにこわばった。
「いいえ、できません」
イツキはまっすぐにアベルハイドのほうを見、言い放つ。
「何を!」
「彼らはたしかにあなたの馬車に忍び込んだ不法侵入者ですが、リヴィラへの不正入国未遂者でもあります。彼らの処遇に関して、リヴィラの秩序は介入する権利があります」
イツキの言葉にアベルハイドは少しおののく。
「そして、リヴィラの秩序は罪人を奴隷の身へ落とすことを認めていません。ですので、あなたの提案は聞き入れられません」
言い切ると、アベルハイドはバツの悪そうな顔をする。真っ向から畳みかけられたせいで、少し冷静になったのかもしれない。
しばしの沈黙を破ったのはやはりクリフだった。彼はすっとした姿勢でアベルハイドの方を向く。
「この隊員の言うとおりです。こうなってしまった以上、この問題の解決にはリヴィラの法で決めることが一番でしょう」
クリフの言葉にアベルハイドは苦々しい顔をする。
「この子たちの身柄はリヴィラ警備隊が預かります。その上で処罰が必要なら処罰をあたえます。あなたがたはこの件に関与していないようですし、特別我らが拘束する必要もなさそうです」
どうしますか、とクリフは問いかける。
リヴィラの法を破り子供たちを売るか、すべてを任せていつも通り商売をするか。リヴィラの法を破れば、もうここで商売をすることは不可能。それをわかっている上での問いかけだった。
「ぐ……」
アベルハイドは大きく顔をひきつらせたが、やがて子供たちの処遇をリヴィラ警備隊に一任することを了承した。
「まったく……なんでわしがこんなめに……やはりこんな街にくるんじゃなかった……奴らが押しつけなければ……」
アベルハイドはぶつぶつと小声で恨み言を言いながら去っていく。おおかた鉱石商人ギルドで一番実力のない男に押しつけていたのだろう。リヴィラの独自の政治体制やその成り立ちからリヴィラを忌避する人間が多いのだ。
「イツキ、よくやったな」
アベルハイドの去り際を冷ややかに見つめていたイツキに、クリフがねぎらいの言葉をかける。
その言葉に一瞬イツキは顔をゆるめそうになるが、すぐにその背後に潜む空気に、顔を引き締めた。
「クリフさん、なんか考えてますよね」
イツキがそういうと彼はにやりと子供のように笑う。外部の前では厳格な彼だが、身内の前では子供らしい表情をする人だ。
「警戒するな。別にただその子らの事情聴取を任そうと思っただけだ」
未だにイツキの腕に抱かれている子供たちを見ながらクリフが言う。そういえばそろそろ腕がだるい。
「いや、クリフさん俺そろそろ休憩ですし、そういうのは俺よりもっと適任が……」
「その子らを最初に見つけたのも、かばったのもお前だ。適任というのならお前が一番だよ」
まぁ休憩ついでに子供らと昼飯でも食ってこい、と言ってクリフはそのまま自分の持ち場へと戻って行ってしまった。
「どうすんだよ、これ……」
腕に子供たちの重みを感じながら、イツキは途方にくれた。
◆
上司であるクリフから子供たちの事情聴取、という名の世話役を命じられたイツキは、とりあえず彼の言葉通り昼食をとることにした。
警備隊詰め所にある休憩所に、イツキは二人をつれていく。子供たちはもう逃げ出す気はないらしく、おとなしくついてきていた。
休憩所の机に外で買ってきた軽食を乗せ、子供二人と向き合うようにイツキは席に着いた。
子供たちも警戒しながら椅子に腰をかける。少しおびえてはいるものの、机の上の軽食を興味深げに見つめていた。
「別に遠慮せずに食えよ。腹減ってんだろ」
イツキは机に手を伸ばし包みを一つ取る。包みの中はふわりと焼かれたパンの間に具を挟んだ、リヴィラでは定番の料理だ。
それをおいしそうに食べているのに安心したのか、それとも耐えられなくなったのか。二人は一斉に料理に飛びついた。
必死に食べ続ける二人を見て、イツキはほほえましい気持ちになる。こうしてると普通の子供のようでほっとした。
とはいえ今彼らは不法侵入と不正入国未遂の現行犯としてここにいる。子供とはいえ、立場上甘やかすことはできない。処罰を下すのは司法館の連中だが、調書を作るのはイツキの仕事なのだ。
「で、お前らなんだってあんな所に潜り込んだ?」
子供たちが食べ終わったあたりを見計らって、イツキは声をかける。
すると少年がはっとなって、イツキをにらみつけた。あきらかに空気のかわった片割れに気づき、少女のほうも身を堅くする。
イツキは軽くため息をついた。これではまともに会話もできそうにない。
「じゃあとりあえず名前は? 名前ぐらい教えてくれてもいいだろう?」
今にもかみつきそうな少年は置いておいて、イツキは少女のほうを見る。少年のほうはきっと何も答えないだろう。おびえてはいるものの少女の方がまだ話を聞いてくれそうだった。
「……あ、……え、……えっと……ル、……ルシエラ……です……」
なんともしどろもどろで消え入りそうな声だった。顔を青くしておびえる姿が痛ましい。
少しでもおびえがなくなればと、イツキはルシエラに微笑む。そして、少年へと目を向けた。
少年はいやそうな顔をしていたが、ルシエラのほうをちらりと見ると、やがて観念したかのように口を開いた。
「…………ユリウス」
ルシエラとはえらく違う、不満げな声だった。イツキは内心苦笑するが、表には出さない。
「ルシエラにユリウスね。ちなみに俺はイツキな。ここリヴィラの警備隊員だ」
この二人から事情を聞き出すには、とにかくふたりと信頼関係を築くしかないだろう。なんとかして彼らに警戒を解いてもらうしかない。
できるだけ親しみをもってもらうため、イツキも二人に名を教え、笑いかける。他人に信頼してもらうためには笑顔を絶やさず相手の目をしっかり見ることだ、とは先輩隊員の言葉だったか。
「それで、二人ともまだ小さいけどお父さんやお母さんは?」
とりあえず基本的なところから。
と思ったが、予想以上に二人は体を堅くしてしまった。ルシエラに至っては少し目が潤んでいる。
そういえば十ほどの子供が二人だけで馬車に不法乗車しているのだ。この子たちの両親に何かあったのだろうことぐらい想像しておいてもよかったのかもしれない。
イツキは失敗したな、と思いつつさっと違う話題を振る。
「あーえっとそういや二人はよく似てるけど、兄妹?」
話題が変わったことで明らかに二人は安堵の表情を浮かべる。やはりまずい話題だったらしい。
「……双子」
「双子なのか。なるほどなぁよく似てるわけだ」
意外にも返答はユリウスからだった。しかし、双子とは珍しいものを見た。思わずイツキは彼らをしげしげと見つめてしまう。あまりにも見すぎたのかユリウスに睨まれた。イツキは肩をすくめておどける。
「で、二人はどこから来たんだ?」
生まれ故郷がわかればこの子たちの両親も見つかるかも知れない。そう思っての問いだったが、双子たちはまた全身を堅くして拒絶した。どうやらこれもダメらしい。
どこが地雷なのかわからずイツキは思わず頭を抱えたくなった。子供の相手も取り調べも慣れない彼にとってはこの難題はあまりにもハードルが高すぎた。
「あーえっと。あ、ところで二人とも。お揃いの帽子なのはいいができれば室内で帽子はとっておいたほうが……」
そう言いつつイツキはユリウスの帽子に手を伸ばす。しかし、その手が届く前に、彼は素早い動きで帽子をとられまいとイツキの手を払いのけ、帽子の端をぎゅっと握りしめた。
どうやらふれてはいけないところにふれてしまったらしいとイツキは悟る。これは失敗したかなと思った。
「あー悪かった。別に人がいやがることを積極的にする趣味はないから、」
そう言うと深くかぶった帽子から、ユリウスはそっと目を出す。
「外したくなければそれでいいさ。無理にとは言わない」
イツキの言葉に、ユリウスはあからさまにほっとした顔をする。しかし、警戒心は収まりそうにない。その空気が伝染してか、ルシエラのほうも落ち着きがなかった。
これではらちがあかないとイツキは内心ため息をつく。事情を聞き出すどころか、まともな会話もできそうになかった。子供は嫌いではないが、こうも警戒心が強いとどうしていいか分からない。
「よし、」
一頻り考えた後、イツキは勢いよく立ち上がった。いきなり立ち上がった衝撃に、二人はびくっと肩をふるわせる。
「とりあえず外にでも行こう。こんなところにいても息が詰まるだけだしな」
にっこりと二人に笑いかけながら、イツキは手を差し出す。
そんなイツキの行動に驚いたのか、ユリウスとルシエラはお互いに顔を見合わせた。
◆
リヴィラの商店街はとにかく人が多い。東門を通る行商隊のほとんどがここで商売をするわけだから当然だろう。色とりどりの商品が並ぶその場所はリヴィラの名所の一つであるのだが、二人が人混みに入るのをいやがったのであえて裏路地を進んでいた。
「表通りは外から来る人間とかが多くなるんだけどな、こっちはここの住人が細々とやってるような店が多いんだよ」
クリフに事情を説明し、二人の外出許可をもらったイツキはユリウスとルシエラの二人をつれてリヴィラの街を案内していた。
最初はびくびくしていた二人だったが、次第に街の景色に目を輝かせていた。
どんなに警戒心が強くても子供は子供だ。目新しいものに興味を持つところは同じなのだと、イツキは微笑ましい気持ちで二人を見つめていた。
それと同時に一つの疑問が浮かぶ。
どうしてこんな子供だけで、他人の荷馬車に乗り込むような事態になったのか、だ。
街の風景を二人は真剣に見つめる。だが人が近くを通るたびにその目は地面へと向けられた。
あきらかに他人を避けるその姿はやはり異様だ。過去に何かしらあったのかもしれないとイツキは考える。
とはいえここでそれを直接聞いても失敗するのはわかっている。まずは世間話からだ。世間話、世間話……。
「えっと……あ、そういや双子ってどっちが兄とか姉とかあるのか?」
いやそれはどうでもいい。口走ってからイツキは自分で自分を殴りたくなった。
「あ……えっと……ユリウスが、お兄ちゃん、です」
いきなり話しかけたことに驚きつつ、ルシエラが答えてくれた。イツキはほう、と息を吐く。とりあえず答えてくれただけでも進歩だ。助かった。
「そうか。あーじゃあ好きな食べ物とかは?」
お見合いか。自分の言葉にますます頭を抱えたくなる。だが、おそらくこういう方向から攻めた方がいいのだろう、とイツキは気を取り直しておいた。
「え、えっと……キノコ、とか……? 好き、です」
ルシエラが首を傾げながら言う。まだおびえは残っているが、しっかりと質問に答えてはくれた。女の子はおしゃべりだというから、この子も本来は話をするのが好きな子なのかもしれない。
「キノコか。あーえっとユリウスは?」
ルシエラににっこりと笑いかけてからユリウスのほうを見る。
「……トマト、とか」
絞り出すような声でユリウスは言う。その様子がおかしかったのか、それとも答えてくれたことに安堵したのか、イツキはくすりと笑ってしまった。
その小さな笑いを聞いたからか、二人はびくりと体をふるわせた。
二人の行動に、イツキは少し寂しい気持ちになる。なんとか会話できるようになっても彼らはイツキを怖がっている。
「なぁふたりとも……」
イツキはその場に立ち止まって声をかける。二人はおそるおそる、不思議そうにこちらを向いた。
その様子にイツキは少し苦笑する。
すっとイツキは膝を折ってその場にしゃがんだ。二人と視線をあわせる。そしてその動き一つ一つに二人は驚いたようにこちらを見ているのがわかった。
「そんなに俺が怖いか?」
まっすぐ彼らの目を見ながらイツキは尋ねる。尋ねた後、なぜそんなことをしてしまったのかと、今日何度目になるかわからない後悔を感じた。
おそらく自分たち以外の他人すべてを二人は恐れているのだろう、それは想像できている。それなのに、真っ向から訊いてしまったのはたぶん回りくどいことができない自分の性格のせいだろう。
「…………別に……今のあんたは怖くない……」
やってしまったと苦悩するイツキに答えたのは、ユリウスだった。まだ体はこわばっているが、しっかりとこちらを向いている。
「でも、……いつ……怖くなるかわからない……」
ユリウスが続けた言葉に、彼の裾を握り隠れるようにしていたルシエラもうなずいた。
その様子を見て、イツキはふっと笑う。必死に気持ちを伝えてきた子供たちを、イツキは始めて好ましいと思った。
「そうか、ならいいかな」
イツキはそう言って立ち上がった。二人はそれを不思議そうに見つめる。
「今はそれで十分だ。……ホントは細かい事情聞き出すまでが仕事だけどな。それは俺が信頼できると思えてからでいい」
二人はイツキの顔をまじまじと見つめてから、互いを伺うように顔を見る。イツキはその様子を微笑ましく見つめていた。
「あら、イツキちゃん!」
イツキたちが道で立ち止まっていると、年輩の女性に声をかけられた。
その声の方へ振り向けば、そこにはイツキよりはるかに小さな女性が、買い物かごを下げて立っている。少し肩幅は大きいがどちらかといえばころころした、という形容が似合いそうなかわいらしいおばさん、といった感じだろうか。
「フールさん、こんにちは、ご機嫌いかがですか?」
「元気よ~。イツキちゃんはどう? あ、ジーンは迷惑かけたりしなかった? あの子ったらいきなり帰ってくるから……」
フールという名の女性はまくしたてるようにイツキに言葉をぶつける。彼女はジーンの母親で、イツキとも交流が深い人物だ。
変わらない彼女の様子にイツキは苦笑する。
「元気ですよ。ジーンも真面目にやってますから」
「あらそう? もう帰ってくるなりぐだぐだしてるのよね、ほんと心配だわぁ。ところでイツキちゃんそのかわいいお子さんたちはどうしたの?」
話し続けるフールの視線は、イツキの後ろに隠れるようになってしまっている二人に向けられた。当人である二人は突然の出来事に驚いたのか、呆然としてしまっている。
「あぁ、今俺が保護してる子供たちです。ユリウス、ルシエラ、こちらはこの道の角で洋服店をしているフールさん」
「よろしくねぇ」
満面の笑みを二人に向けるフールに、さすがの二人もおどおどしながら軽く会釈を返した。にらみつけるだのおびえるだのしていたイツキの初対面とはえらい違いだ。四人の子供を育て上げた女性に子どもの扱いでかなうわけがない、ということなのだろうか。
「あら、お洋服が少しほつれてるわね」
フールはすっとルシエラに近寄り、ケープの裾をそっとつかんだ。たしかに何かでひっかけたようなほつれが見える。
「あ、あの……」
「あぁ大丈夫大丈夫。これぐらいならすぐ直せるわ」
戸惑うルシエラをよそにフールはさらに彼女に詰め寄った。この年齢の女性特有の、大胆な行動を止めることなどイツキには不可能だ。口すら挟めないままに話は進んでいく。
彼女にも悪気がなく、純粋な好意なのだから無理に割って入るのもはばかられた。
「さぁさぁせっかくだからうちに寄ってきなよ。これぐらいサービスでなおしてあげるからさ」
「え、あ、あの……」
「っ、ちょっと待てよっ!」
ルシエラの手を引き、歩きだそうとしたフールを遮ろうと、ユリウスが飛び出した。その衝撃でぱさりと彼の帽子が落ちる。
古ぼけた茶色の帽子。
使い古された、くたびれきったその帽子のしたからは銀に輝くくせっけの髪ととがった獣の耳があった。
「あ……」
誰からもれた声だろうか。
それが判断できないほどに、彼らは驚きに身を固めていた。
この世界で獣の特徴を持つ人は、獣人か・半獣人のみ。
体の一部にのみ獣の特徴を持つのは、半獣人だ。
「ユリウス……」
イツキが問いかけるその前に、ユリウスはルシエラの手をつかみ、その場から一気に駆けだした。
「おい、ユリウス! ルシエラ!」
イツキははっとして名前を呼ぶが、それで彼らの足が止まることはない。ほんの少しの間に、二人はイツキの視界から姿を消していた。
その場には、少年が身につけていた帽子だけが残った。
◆
二人は必死で走り続けていた。
もうそこはリヴィラの町並みを通りぬけ、深い緑が目に飛び込む森の中だったが、二人はいつそこに入ったのかも気づけぬほど必死で走り続けていた。
がさがさと葉っぱの上を走り抜ける音と共に、声が聞こえる。
(なんだ、この耳。きもちわるい)
幻聴だ、それはわかっている。それでも過去に投げつけられた言葉に、ユリウスは唇を噛む。
帽子の中身を知った人間はいつもそうだった。
半獣人は禁忌だと。不吉だと、冷ややかな目を向ける。時には石を投げられる。好きでこの体に生まれたわけではないのに。
中には気味悪がらなかった人間もいた。もちろんそれは好意ではなく、売り物として自分たちを利用するために。
自分たちを守ってくれる存在はこの世にいない。
一番近くにいた母親は自分たちのことを『化け物』と言った。
こんな化け物は私の子じゃない。私はこんな子供産みたくなかった。
やつれた母の言葉は幼い二人にとって、鋭利な刃物だった。
「っ、あ」
「ルシエラ!」
ルシエラが木の根に足を取られて体のバランスを崩し、その場に倒れる。スカートから見える足に一筋の赤い血が流れた。
彼女を気遣わずに走ってきてしまった。ユリウスはそのことを後悔しながら、妹の容態を確認するためにしゃがみこむ。
「大丈夫か?」
「うん……。ごめんね、ユリウス……」
怪我をしたのは自分なのに、ユリウスを気遣うルシエラの言葉に彼は自分を殴りつけたくなる。
元はといえば全部自分が引き起こしたことなのだ。
少なくともあそこでユリウスが余計なことをしなければ、逃げずにすんだのに。
あの警備隊の男は自分たちに危害を加えたりしなかった。もし、あそこで帽子が外れなければ……。
そこまで考えて、それを振り払うようにユリウスはかぶりをふる。
あの男が無害だとどうして言えよう。どうせあそこでバレていなくとも、いつかはわかったことだ。隠し通すことはできない。そして、自分たちの正体を知れば、彼はきっと危害を加えてくるに違いない。
「……あ、あのね、ユリウス、わたしまだ走れるから・」
黙り込んでしまったユリウスを心配して、ルシエラが声をあげる。ユリウスはその言葉にはっとなった。
こんな調子では駄目だ。自分がしっかりしなければ。
「無理するな、ルシエラ。そんなすぐ逃げる必要もないから・」
逃げるにしても、どこか目的地があるわけでもない。街からかなり離れただろう今、急ぐ必要もないだろう。
「しばらくここで休んでろ」
「……ユリウスは?」
兄の物言いにルシエラは眉を寄せて、首を傾げる。
「おれはちょっと食べれるもの探してくるからさ。しばらくここにいろよ」
彼女を安心させるように、ユリウスはあえて笑顔で言う。ルシエラは何か言いたそうに口を開くが、やがて諦めたのかそっと口を閉じた。怪我をした自分が行っても足手まといになると思ったのだろう。
「じゃあ行ってくるから」
「うん……。……ねぇユリウス」
呼び止める彼女の声にユリウスはそっと振り返る。
「もう、戻れないかなぁ……」
ルシエラはさきほどまで走っていた道へ視線を送る。その向こうにはリヴィラの街が広がっているはずだ。
しかし、ユリウスには彼女が言っているのは街ではなくあの長身の男のことだろうと分かる。事情もはなさず、黙っていただけの自分たちに優しく接してくれた人。
彼が自分たちの扱いに苦労していたのは分かっていた。それでも、なんとかして接しようとしてくれていたことも。
「……無理だよ」
「……うん」
「もう……バレた」
「……うん」
それでも、戻るという選択肢だけはない。
二人が逃げてきた今まででも、優しい人はいたのだ。けど、自分たちが半獣人だと知ったとたん、みな態度を変える。そうなってしまえばもう、逃げるほかない。
「ここから動くなよ、ルシエラ」
「うん・。気をつけてね、ユリウス」
少女の言葉にうなずいてから、少年は森の奥深くへと入っていった。
◆
「ったくあいつらどこまで行ったんだ!」
あの後、自分が何かしてしまったのかと動揺する婦人をなんとかなだめ尽かし、イツキは彼らの後を追いかけた。
すぐに姿が見えなくなってしまったから自信はないが、あたりの人に訊いたり、あえて人気のないところを進んだりし、森の入り口に子ども二人の足跡を見つけることができた。
その森は普段住人がよく出入りする場所ではあったが、それでも子どもだけでは危険が多い場所でもある。
イツキは幼い二人の顔を思いだし、思わず舌打ちをする。
あの二人がおびえているのにずっと気づいていながら、その理由にまで思考がいっていなかった。彼らが危険にさらされていればそれは自分の責任だ。
「ユリウス! ルシエラ!」
イツキはできる限りの大声で二人の名前を叫んだ。もちろん返事があるとは思っていない。それでも名を呼ばずにはいられなかっただけだ。
名を呼びながら森の中を進んでいると、近くでがさりと音がなった。
その音にイツキは足を止める。
音のしたほうに目をやると、木の幹から長いスカートがはみ出していた。
「ルシエラ?」
イツキはそっと木に近寄る。
声にあわてて、さっとそれは木の後ろに隠れる。イツキはそれを追いかけて木の裏側に回り込む。
思った通りじっとうずくまるルシエラの姿があった。
「よかった、無事だったか」
ほっとして、イツキはルシエラに近づく。
ひどくおびえているが、彼女は逃げようとはしなかった。
「……足怪我してるな、ちょっと待ってろ」
ルシエラの足に赤い一筋があるのをみて、イツキは怪我の具合を見るためにその場にしゃがみ込んだ。少し擦っただけのようだが、早めに消毒したほうがいいだろう。
「立てるか? ユリウスはどこに行った? はやく……」
「なん……で……」
質問を続けるイツキの声を遮るように、ルシエラはか細い声を出した。
彼女は先ほどから、うつむいてこちらの目を見ようとはしない。
「……なんで……なぐらないの?」
絞り出された言葉に、胸が締め付けられる。この子たちが今までどんな環境で生きてきたか、この言葉だけでもそれは想像するに難くない。
イツキはそっと彼女に手を伸ばす。
「大丈夫だ」
そのままその手は優しく、ルシエラの頭に触れた。イツキの大きな手と比べれば、彼女はとても小さい。
「俺はそんなことしないし、ほかの誰にもそんなことはさせないさ」
諭すようなイツキの言葉に、ルシエラはゆっくりと顔を上げた。
「……ホント?」
「あぁ、本当だ」
優しく、イツキは彼女の頭をなでる。
「……もう、にげなくて……いい?」
ルシエラの瞳からポロポロと涙があふれだす。その目をまっすぐ見て、イツキはうなずいた。
そのままひくひくと少女は泣き出した。イツキは戸惑いながらも、あやすように彼女の頭をなで続ける。
「……ひっ……っユリ、ウスがっ……」
泣きながら、ルシエラはイツキに訴える。
「一人で……奥にっ……」
泣いた興奮が残るとぎれとぎれの言葉だったが、イツキには彼女の言葉が伝わった。
「森の奥に行ったのか?」
イツキの言葉に、ルシエラがうなずく。
この森の奥に進めば高めの崖がある。また、木々が覆い茂っているせいで、気づかずに足を踏み外す可能性だってあった。
「……分かった、今あいつを迎えに行ってくるから、ルシエラはここで待っててくれるか?」
「……かえって、くる?」
不安そうにルシエラはイツキに見つめた。
「あぁ。必ず」
彼女の不安を取り除くために、はっきりとイツキは告げる。それで安心したのか、ルシエラは淡く笑った。
頭を軽くなでてから、立ち上がり、森の奥へと走り出した。
やがて少し視界が開ける。目の前には崖が広がる。少し横を向けば、激しい音を立てる滝があった。
「ユリウスは……」
森の木は大きく、枝が崖の上にまで伸びている。イツキは内心の焦りを隠せないままに、あたりを見渡す。
そのとき、少年の姿を探すイツキの耳に枝に亀裂が走る音が届いた。
「うわあっ!」
その悲痛な音とともに、少年の悲鳴が耳を打つ。
はっと音の方を見れば、イツキのいる場所から少し先、必死に枝にしがみつくユリウスの姿が見えた。
「ユリウス!」
彼の名を呼び、その場に駆け寄る。
その間にも枝に亀裂は走り続ける。
そして、ついに重力に負けた枝は、そのまま地面へと向かった。
「うあああっ」
「っ!」
崖からはみ出た枝はそのまま下へと落ちていく。ボチャンと川にたたきつけられる音が聞こえる。
イツキはその前に間一髪で、ユリウスの腕をつかんだ。
手だけで崖にぶら下がった状態のユリウスは下に目をやり、その高さに息を詰まらせる。
「下は見るな! ちゃんと上向いてろ!」
間髪入れずに発せられたイツキの怒鳴り声に、ユリウスはぱっと上に視線を戻す。
「いいか、じっとしてろよ」
イツキはつかんだ腕を放さないように、慎重にユリウスを引き上げていく。人ひとりの命を背負うプレッシャーに冷や汗をかきながら、なんとか持ち上げることができた。
「はあ、はあ……このバカ……子どもが一人で何やってんだ……!」
ユリウスを抱き抱えながら、イツキは息絶え絶えに言う。ユリウスはまだ、ショックが抜けきらないのか、呆然とした顔で固まっていた。
イツキは少し息を整えてから、ユリウスをその場に降ろす。
「とにかく無事でよかった。大丈夫か?」
そう言って頭をなでれば、ユリウスはぱっとその手を払い落とす。
「…………なんで、助けた」
疑うような目で、ユリウスはイツキを見る。その声はひどくふるえていた。声と同じようにその体もふるえている。
イツキはそのふるえを止めるように、彼をそっと抱きしめた。抱きしめる肩は恐ろしいほどに小さい。
「お前みたいな子どもを助けないわけないだろうが」
あやすように頭をなでる。今度は払いのけたりはしない。どうすることもできずユリウスはイツキの腕の中でじっとしている。
「怖かったろ。もう大丈夫だ」
今まで張りつめていた糸がぷつんと切れたように、彼はその場で勢いよく泣き出した。
◆
あれから泣いているユリウスを連れルシエラと合流し、三人は無事リヴィラの街へと戻った。
ひとしきり泣いて落ち着いたのか、それとも信頼してくれたのか、二人がイツキに対して警戒心を見せることはなくなった。
詰め所にまで戻ると、二人はイツキに事情を話し出した。
二人は半獣人の双子で、予想通り生まれ故郷では禁忌として疎まれ続けていた。母親としても望んだ出産ではなかったらしく、ついには奴隷商に売られ、その途中で逃げ出してきた、と彼らは語った。
ジーンの話していた脱走した半獣人とはおそらく彼らのことだろう。まさかここまで幼いとは思わなかった。
どこに行けばいいか分からない時に、たまたま飛び乗ったのがあの行商人の馬車だったらしい。
「……そうか。話してくれてありがとうな、二人とも」
イツキが笑いかけると、二人はほっとしたような顔つきになる。
しかし、それもすぐに暗い表情へとかわっていく。
「……なあ……おれたち、これからどうなる?」
不安げにユリウスはイツキの顔を見る。ルシエラも言葉こそ出さないものの、同じような目を向けた。
――種族混血児は禁忌の子ども。
たしかにそういった信仰はある。その信仰を信じるあまり、彼らを傷つける存在があるのもまた事実だ。
「……二人はここがどうやってできたか知っているか?」
イツキの突然の問いに、二人はそろって首を傾げる。その様子がおかしくて、イツキは笑った。
「この街はもともとな、種族混血の人々が独立するために作られた場所なんだよ」
イツキの言葉に二人は目を丸くした。
「だから、この街でお前等を傷つける奴はいない。行くとこねえなら俺が面倒見てやる。どうせ男一人で寂しい生活してたしな」
おどけたようにそう言えば、二人は呆けたようにイツキを見つめる。
「だいぶ遅れたが、リヴィラへようこそ。この街はお前等を歓迎するよ、ユリウス、ルシエラ」
にっこりと、イツキは二人に笑いかける。
「ほんとうに……」
呆然としていたルシエラがゆっくり口を開く。
「ほんとうにここにいていいの?」
不安と期待が入り交じったような二人の視線。
それに対してイツキは大きくうなずいた。
「もちろん」
イツキが返事をしたとたん、二人は勢いよくイツキに飛びついた。
衝撃で二人の帽子がはずれ、獣の耳が見えるが、それを気にする必要はもうない。
ぎゅっとしがみつく二人の姿を見て、イツキは優しく微笑む。
「後でちゃんとアベルハイドさんに謝りに行こうな。明日の朝に出るらしいからまだいるだろう」
二人の頭をなでながらイツキは言う。
「それで明日になったら、いろいろ買い物に行こうな。生活に必要なもんそろえねえといけねえし、あとフールさんのとこにも行かないとな」
二人はイツキの腕の中で、大きくうなずいた。その体にはもうふるえはない。
これから忙しくなりそうだ。
そんなことを思いながらイツキは自分の腕の中で丸くなる彼らを見つめていた。
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