幽霊と生者

2019年2月28日木曜日

短編小説

t f B! P L


初出  2014.04.09

 ゆっくりと力を失っていく四肢。
 失われていく体温と、遠ざかる痛覚。
 それは確実に近づく、死の気配。
「ぁ……、は……」
 空気が体から漏れる。言葉が出ず、ただ意味のない風の音だけが流れ出ていく。
 思えば、つまらない人生だった。
 農業の人手として産み落とされ、不作が続けば容易く捨てられる。
 親の情のなど覚える時間もない。最後に別れの場所へと手を引かれたこと以外では、家族の体温にふれることすらなかった。
”時代が悪い”
 そうやって大人たちの言葉で片づけられて。実際犠牲になる俺はなんなのだろう。
 誰にも必要とされず、省みられず、ただ一人森の奥で朽ちる俺は、なんなのだろう。
(いたい……)
 この痛みを、忘れたくない。
 坂を転げた痛みを。野犬に襲われた痛みを。傷口が膿んでいく痛みを。
 突き刺さる、胸の痛みを。
 忘れてしまったら本当に自分は、この世界から消えてしまう。
「生きたいか」
 聞こえなくなったはずの耳に、声が届いた。
 鈴のような、高く、力強く、それでいて優しい声。
 気のせいだと、思った。
「生きたくないか、少年」
 それなのに、また鼓膜が震える。
 鈴のような女の声が、脳を揺さぶった。
(いきたいか……)
 この、何もない世界で。
 痛みを持って、生きたいか。
 朦朧とする頭が、たった一つの答えを導く。 
「ぃ……、ぇ、ぃ。き、ぇ……た、……く、な、ぃ」
 消えるのは、嫌だ。
 自分がなくなるのは、嫌だ。

 何も感じなくなるのはーー嫌だ。

「消えたくないか、なるほど」
 霞ゆく視界の中で、女がかすかに笑った気がした。
「望みを叶えよう少年。君の存在は消えず、残る」
 自信にあふれた女の声が、やけに強く耳に残った。


 その日、少年は「死者」となり、「生者」へと下った。



Novella

糸繋ぎ、四季踊る
春の章/夏の章/秋の章/冬の章

このブログを検索

QooQ