愛と自身の証明

2019年2月28日木曜日

短編小説

t f B! P L


初出 2014.04.03 大学の課題

 あぁ、なんてこと。なんてことなの。
 薄暗い部屋の机に顔を伏せ、私の思考は深い闇へと迷い込んでいく。
 そんな私の様子を気にするような人はここにはいない。途方に暮れるほど広いこの部屋にいるのは私だけだ。
 だから、分からなくなるのだ。
 恐怖と歓喜。
 どちらが真実なのだろうか。
 
 私は中流商家の三女として生まれた。生活に不自由などはまるでなかったが、特別裕福であるというわけでもない。
 私個人としてはそれでも気にしなかったのだが、父や姉たちはそれでは満足できなかったらしい。父はいつも仕事の話ばかりしていたし、姉たちもいかにして裕福な人と結婚するかに血肉を注いでいた。
 母も、表にこそださなかったが、同じような心情だったのだと思う。
 そんな家族の中で、私は一人浮いていた。結婚なんてまだまだ先だと思っていたし、女の身で父の仕事に口を出すこともできない。そもそも現状で満足していた私は、みんなと違って向上心というものに欠けていたのだと思う。
 もしかしたら、そんな私のことを家族はうとましいと思っていたのかもしれない。
 ある日のことだった。その日は珍しく父の仕事部屋へと招かれた。基本的に、父は家でも一人部屋に籠もって仕事に打ち込むことが多い。あまりの珍しさに、姉たちが興味を示すほどだった。
 父の話はこうだ。
 曰く、さる有名企業の御曹子が私のことを娶りたい、そう申し出たらしい。
 もちろん私はその御曹子のことはまるで知らない。三女ということで社交界の場にあまり参加していなかった、ということもあるがその人物自体は元からあまり表舞台に姿を表すことがない人だった。本当は存在していないのではないか、という噂まで聞こえるほどだ。
「それでどうだお前、行ってみる気はないか」
 父の言葉に私は小さく息をもらす。
 得体の知れない人物。だが、彼の家と婚姻を結ぶことは父の仕事にとって明らかにプラスになるのだろう。
 政略結婚。
 その言葉が私の脳裏をよぎる。
 そのために、私のことを正体が定かでない男のもとへと嫁がせようというのだ。
 私はそっと、父の目を見る。
 拒否権は、なかった。
「はい、父様」
 
 それからしばらくして、私は結婚した。
 さすがと言うべきか、私たちの新居は今までに見たことのないような大豪邸だった。
 設計や建材、調度品、そのすべてが一流で、雇っている使用人もまた素晴らしい。今までの生活が相対的に見窄らしいと思えるほど、ここでの生活は、まるで夢物語のようでさえあった。
 だが、私は一度も自分の夫の姿を見ていない。
 その存在を感じるのは、真夜中に同じベッドに入ってくる時ぐらい。
 月明かりさえもない部屋の中ではあの人の顔も満足に見ることができなかった。
 生活に不自由は何一つない。家事はしなくていいし、必要なものがあればすぐに用意してくれる。話し相手以外は。
 使用人たちは本当によくしてくれている。だが、彼らは指示の返事以外、言葉を返すことをかたくなに拒んだ。
 もともと、幸せな結婚生活など望んではいない。それでも、この今の生活は、人寂しかった。
「あの人は、私のことを愛しているのかしら」
 毎日のように、使用人に問いかける。答えはないと知りながら、そうせずにはいられなかった。
「……お寂しいのであれば、旦那様に申してはいかがでしょう」
 ある日のこと、いつもと同じように問いかけると一人の使用人から返事があった。
 私は驚いてその人を見たが、すぐに部屋から出て行ってしまう。
 だけど、ただそれだけのことが、私にはひどくうれしく感じられた。
 
 その日の晩のこと、私はベッドへと入り込むあの人に自分の思いの丈を伝えてみる。
 妻である私がこんなことで旦那に意見するなど、呆れられはしないだろうか。そんな疑念が頭をよぎったが、あの人はまるで気にしなかった。
 それどころか私の言葉に謝罪し、親類を呼んでいいと言ってくれた。
「あなたは姿を見せてはくれないの」
「本当にごめん。悪いけどそれはできないよ」
 その言葉には落胆したが、それでも私のために心からの言葉を送ってくれたことが、嬉しかった。
 私は次の日すぐに使用人に姉たちを招待するように頼んだ。
 父様たちも、と思ったがお忙しくてはいけないだろうとあえてお呼びはしなかった。ある意味父に対する反感のような気持ちが自分の中にあったのかもしれない。
 屋敷に来た姉たちは、私の暮らしぶりにずいぶんと驚いたようだった。それもそうだろう。私ですら未だに夢心地のような気分なのだから。
 使用人に頼んで、お茶会のセッティングをしてもらう。久々に人と話しながら飲む紅茶は、とてもおいしかった。
「本当にすてきな屋敷ね」
 姉の言葉が、何故かすこし誇らしい。
 だが、このすぐ後姉は表情を曇らせた。
「でも、ここまで立派だとなんだか噂に信憑性が出てしまいそう」
「? いったい、どのようなお噂ですか?」
 姉の言葉に、思わず私は身を乗り出す勢いでその話を促す。今はなんでもいいから彼の話が聞きたいと思った。
 その選択が、間違いだったなんて。
「あの御曹子様は、吸血鬼だって噂よ」
 姉の一人が言う。
「そんなっ」
「本当よ。私も聞いたわ。森深くの屋敷に住む吸血鬼だって。表に出てこないのは太陽の光を避けるためだって」
 もう一人の姉も、同意を示す。
 吸血鬼? そんな馬鹿らしい、おとぎ話のようなことがあるわけない。
 あんなものは、所詮人の想像の産物でしかないだろう。
「あら、そうとも言えないんじゃない? だって、あなた直接姿を見たわけじゃないでしょ?」
 そっと、姉が声を潜ませて続ける。
「もしかしたら、人じゃない別の何かの可能性だってあるじゃない」
「あなた月明かりもないから姿が見えないって言ってたでしょ? あれって太陽を避けるための設計だからじゃないかしら」
「夜にしか現れないのも、きっと太陽が怖いからだわ」
 たしかに、この屋敷は作りが複雑で、窓のない部屋がいくつか存在したりもする。だけど、だからって。
 あの人を信じたいという気持ちと、姉たちの言葉に、心が深く揺れ動いた。
「ねえ、あなた気をつけなさいよ。吸血鬼に血を吸われたら大変よ」
 動揺する私をよそに、冗談めかして姉は言う。その言葉が、杭のように私の心に沈み込んでいった。
「いっそのこと、あなたが先に殺しちゃえばいいわ。そうすれば、あなたの身の安全は保証されるわよ」
 呪文のような音に、私の脳は支配される。
 
 吸血鬼は、太陽の火で灰になるか、胸に杭を打たれれば息絶えるという。私はもやもやした気持ちの中、まるで亡霊のように杭とハンマーをベッドの下へと忍ばした。
 この人が本当に吸血鬼だとしたら、私は生き血を吸われ死ぬのだろうか。
 別にそれはいい。心からそう思う。
 おそらく、知らないうちに私は自分の生への価値を見失っていたのだ。だから、命一つ惜しくはない。
 昔から、自分の意志のない人間だった。父や姉のような目的もなく、ただ生きている、それだけの存在だった。きっとこれからもそうだ。自分で動かず、他人に流される、そういう人生だった。
 あの人がベッドへと入ってくる。
 一番近い位置で鼓動を感じるのに、一番遠い人。
 どこに行っていたのかは知らないが、とても疲れているのだろう、すぐに寝息の音が聞こえてきた。私はそのことにそっと胸をなで下ろす。そしてベッドからそっと降り、杭とハンマーを取り出した。
 流されてばかりの私の人生。
 殺されるのならそれでもいいが、死ぬその瞬間を誰かに決められるのはイヤだ。それこそ、私自身が誰かの人生を狂わせたいと思う。
 自分の命に価値も未練もないが、自分の人生には価値を見出したい、そんな面倒な自己満足。
 あの人の姿は、やはり闇に遮られて私の目には映らない。
 手探りで、慎重に私は彼の心臓を探し出した。
 ごめんなさい、ごめんなさい。あなたに恨みはないけれど。
 私の人生の幕引きの、ほんの彩りになってほしい。
 
 杭を胸へと定め、私は思い切りハンマーを振り下ろした。


 

Novella

糸繋ぎ、四季踊る
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