十二の夜

2019年2月28日木曜日

短編小説

t f B! P L

初出 2014.01.18 「夏祭りの夜の夢」宣伝用SS 公式サイトでのページはこちら

 冬の海独特の冷たい風が、加奈子の肌を刺す。
 朝の日差しがそれをわずかに和らげるが、それでもまだ寒い日々が続いていた。
 歩くたびに漏れ出る息が、淡く白い。
 普段なら栗毛色の髪が風になびくが、今はニット帽にほとんど隠れてしまっていた。
 新しい年を迎えてすぐ、世間ではまだ正月の空気が抜けていない時期だが、すでに港はいつもの活気に戻っている。
 一仕事を終えた男たちがそれぞれ成果物の荷下ろしをしている声がそこかしこから聞こえていた。
「おう、加奈子ちゃんか、どうした」
 一人の男性が、加奈子に声をかける。
 男性は癖の強い髪に、人なつっこい顔つきをした、少し童顔の人物だった。
 その姿を見て、相変わらずそっくりだと、加奈子は思う。
 彼は、彼女の幼なじみである雨宮隆二の実の父だ。
「おはようございます、おじさん。ちょっと近く通りかかったので寄ったんです」
 漁業の栄えるこの島で、漁師をしている雨宮一家は早朝から海に出ている。
 学校が始まっていないこの時期は、彼女の幼なじみも父を手伝ってここにきているはずだった。
 特別用事のあるわけではないが、それでも加奈子はたびたび手伝いに精を出す幼なじみの様子をのぞきにくる。
 娯楽もなく、同世代の子供もいないこの島では他にすることもとくにない。
 理由としては、ただそれだけのつもりだ。……一応。
「そーかい。けど悪いな隆二の奴ならもう帰ったぞ」
「え?」
 この時間なら、荷下ろしが終わってもまだ網の整備など、いろいろやることがあるはずだ。
 父親の後を継ぐことを夢見る隆二は、いつも最後までしっかり手伝いをしていたことを加奈子はよく知っている。
 だから今日も普通に会えると思っていたのに。
「ふっと出てくって言ってそれっきりでよ」
「そう、ですか」
「まぁどっかその辺ほっつき回ってるだけだろうから気になるなら探してみてくれ」
「はい。ありがとうございます、おじさん」
 腰を折り一例すると、加奈子はその場から立ち去った。
 かつかつと音を立てて歩きながら、彼女は自分でも無意識のまま、拳に力をこめていた。
 ……もう、あの馬鹿どこ行ったのよ。

◇◆◇

 港を離れしばらく、別に本当にあたりを探そうというつもりはなかったのだが、とくにやることもなく、帰っても暇をするだけだと思うとなんとなく家にも帰れず、結局加奈子は周囲をぐるぐると巡りだした。
 自分でも何をやっているんだろうと思いながら、しかしここで収穫なしに帰るのもまた腹立たしくて、結局そのままずるずるとただ歩く。
「……寒い」
 これは一言、隆二を見つけた時には文句を言ってやらねばならない、と加奈子の内側でふつふつと怒りがこみ上げてくる。
 純粋に考えれば約束をしていたわけでもなんでもないため隆二に非はない。
 ただの八つ当たりだ。
 それが分かっていてどうにかできるほど、彼女はまだまだ子供だったというだけで。
「あれは……」
 そううだうだとしている、その時だった。
 すでに住宅のある区間を抜け、加奈子の目の前にはちょっとした林が広がっている。
 昔は隆二に連れられてよく遊び場にした場所だ。
 危ないから子供だけで行くなと言われていたのに、あの幼なじみにはなんの効果もなかった。
 そしていつも止めた加奈子や健太までも一緒に怒られる羽目になるのだ。
 隆二が父親を手伝うようになってからは、そういったこともなくなったが、加奈子はそうして過ごした日々が嫌いではなかった。
 そんな思い出の場所に、――いた。
 それは確かに加奈子が探していた人物で、今しがた理不尽な感情をぶつけていた相手だった。
「……」
 見つけたら一言言ってやろう。
 そう思っていたのに、姿を見た瞬間そんなものはどこかにかき消えた。
 正しくは隆二の姿ではなく、彼の横にいる少女の姿を見て。
「ごめんなさい隆二さん。元はといえば私の問題なのに」
「瑞希が悪いわけじゃないからさ、気にするなって」
「はい……」
 やましいことがあるわけではない。
 あるわけではないが、それでも何か見てはいけないものを見ている気がして、加奈子はさっと物陰に隠れる。
 それから小さく呼吸をして、もう一度二人の様子をうかがった。
 隆二の前にいるのは、綺麗に切り揃えられた黒髪の少女だった。
 かわいい、愛らしい、そんな表現が似合う子で、物腰の柔らかな子だ。
 加奈子も知らない仲ではない。
 彼女がいつも一緒にいるもう一人の幼なじみ、健太の妹だった。
(なんであの二人が一緒にいるのよ。しかも二人だけで!)
 健太の妹とはいえ、年は二つ下で、兄以上に引っ込み思案な子だ。
 これまで何度か顔を合わせることはあったけれど、健太のいないところで会うことはなかったのに。
「安心しろよ、大丈夫だからさ」
 いつもは自分たちの真ん中でしている笑顔が、今は彼女に向けられている。
「そうですね、本当にありがとうございます」
 それに対して彼女も、――瑞希も同じように笑みを返した。
 なに、あれ。
「あの、明日もお願いして良いですか?」
「おう、俺で良ければいつでもいいぜ」
 なんなのあれ!

◇◆◇

「と、いうことなんだけど健太!」
「……それ言うためにわざわざうちに来たんだね加奈子」
「う、だ、だってほかにいないじゃない……」
「まぁそうだけどね」
 あの後、こっそり逃げるようにあの場所を離れた加奈子は、そのままどこへ行くこともできず、共通理解のある健太の元を訪ねた。
 気が動転してのことだったが、あの子は健太の妹でもあるのだから、彼にだって無関係ではないはずだ。
「けど、隆二が瑞希と……」
 加奈子から大まかな話を聞いた健太が、何かを考えるようにつぶやいた。
「健太、妹でしょ? 何か聞いてないの?」
「そうだね……。ここ最近はずっと一人で勉強してたから瑞希が何してたかは知らないかな」
「健太ってもう受験勉強でもしてるの……?」
「え、いやただの復習だけど……」
 冬休み中ずっと自習。
 加奈子は特別勉強が嫌いではないが、それでも健太の学習意欲の強さは理解の外だ。
「でもそうだね、ちょっと朝ご飯の時とか様子はおかしかったかも」
 ふと思い出したように健太は言う。
 日課の散歩から帰った後、何か気にしているみたいだったと、彼は続ける。
「聞いても何も答えないし、変だなとは思ったんだけど、瑞希ももう年頃だからあんまり僕がとやかく言うことじゃないかなって」
 こういう時、幼なじみが同い年じゃないんじゃないかと思うのは仕方のないことだと思う。
 えらく落ち着いた健太を前に、加奈子はそっとため息をついた。
「……瑞希ちゃんと隆二って何か関係あったっけ」
「二人だけで会ってるというのはなかったと思うけど……」
 これは加奈子の思った通りだった。
 隆二と瑞希では動と静で正反対だし、自分たちと一緒にいる以外の隆二は父親の手伝いか宿題に追われているかのどちらかで、友人の妹としてしか接点のない瑞希と会うことなんてないはずだった。
(……自然としてて会わないんだったら、そういう予定を用意したってことかしら)
 もしそうなら二人で会う意味はなんだろう。
 いつも何かやる時は加奈子たちを誘ってくる隆二が、瑞希とだけは二人っきりという状況を選ぶというのはどういうことだろう。
 男女が二人っきりで会う理由に、何があるだろう。
(隆二って実は年下好き、とか? 本で男はマザコンかロリコンってあったけど、どっちかというとお父さんっ子だからマザコンってわけではないだろうし、それなら本当にロリコン? 二つ下ってロリコンって言えるの? どうなの?)
 一度走り出した思考は、そう簡単には止まらない。
 すでに加奈子の中で、二人の関係は――
「さすがに、加奈子が考えているようなことはないと思うよ」
「なっ、べ、べつになにも考えてないわよ!」
 見透かされたように健太に言われて、加奈子の思考は強制的にストップされた。
 そう、考えてない、そんなこと全然、考えてない。
 頑張って振り切ろうとするが、どうしようもなくなって加奈子は勢いよくその場で立ち上がった。
「きょ、今日はありがと! 突然おしかけてごめんね!」
「あ、加奈子……」
 健太の声も届かず、そのまま逃げるように加奈子はその場を後にするしかなかった。

◇◆◇

 体を動かすたびに、小さく水の流れる音が室内に響く。
 まとわる湯に身を隠すように沈めば、ぷくぷくと泡が音を立てた。
(結局なんだったのかな……)
 思い出されるのは、日中に見た二人の姿。
(仲良さそうだったな……)
 体力だけが取り柄の隆二と、慎ましやかで大人しい瑞希の姿は正反対が故にどこか「お似合い」で。
 どちらかと言えば口が悪く、手が出やすい自分にはあの空気は作れないと、そんなことを考える。
(……かわいい子、だもんね瑞希ちゃん)
 湯船の中で、加奈子は全身の力を抜いた。
 水の音が耳に届いて、すぐにくもった音へと変わる。
 そのまま水中に完全に潜りこむ。
(何よ、年下にデレデレして)
 そんなことを考える自分がひどくみじめで、嫌になる。
 そのうちに呼吸がつらくなって、想いもつらくなって、加奈子は強く勢いをつけて顔を上げた。
「もう! なんでこんなこと考えなちゃいけないのよ、隆二の馬鹿!」

◇◆◇

 翌日、加奈子は珍しく目覚まし時計の音より先に起きた。
 なんだかいてもたってもいられなくて、それで目が覚めてしまったのだ。
 普段ならそれから少し家での用事を済ますのだが、なんだか気が競ってしまって、朝食もそこそこに彼女は家を出る。
 どこのあてもなくさまよって、気がつけば昨日と同じ林の前。
(……別に気になるとか、そういうのじゃないけど)
 ちらりと、林の中を伺う。
 少し隠れながらでもはっきりと分かる、特徴的な隆二の頭を視界が捉える。
 今日は彼一人のようで、瑞希の姿は見当たらなかった。
 しゃがみこんで何かをしているようだったが、何をしているかまではよく分からない。
(って、隠れる必要なんてないんだから、直接聞けばいいのよ、そうよ)
 意を決して、加奈子は隆二の元へと行こうとする、そのすぐ後。
 状況としてどちらが先かも分からないようなタイミングで、加奈子の目はその姿を発見してしまった。
「隆二さん!」
 さっと、立ち上がりかけた膝を折りたたんで、加奈子はその場にしゃがみ込む。
 彼女が来たのが、ちょうど自分の反対側で良かったと加奈子は胸をなで下ろした。
「すみません、私からお誘いしたのに遅れてしまって……」
 品のいいコート姿の瑞希が、隆二のそばへとたどり着く。
「気にするなって。俺も好きでやってるしな」
 そう爽やかに返す隆二の姿に、加奈子は顔を引きつらせた。
(いつもは時間厳守とかどや顔してるくせにぃ)
「それでえっと、どうですか?」
「あぁ、それなら……」
 そのうちに二人ともしゃがみ込んで、何かを始めだした。 
 隠れている加奈子からでは手元も見えないし、二人の会話も聞き取れない。
 ただなんだかとても楽しそうで、……良い雰囲気そうだと、加奈子は思った。
(なに、してるんだろう)
 もっと詳しく知りたくて、加奈子は必死に目をこらし、耳を澄ませた。
 もしかしたら人生で一番集中していたのかもしれない。
 だから後ろから人が近づいていることに一切気づかなかった。
「……何してるの加奈子」
「ひゃあっ!!」
「うわっ」
「きゃっ」
 思わず出た大声が、目の前の二人に連鎖する。
 気づかれた、と思う暇などなく、自分の後ろに現れた人物は何者かと、加奈子は振り返った。
「け、健太」
 先ほどまで眺めていた少女とよく似た顔立ちの、幼なじみがそこにいた。
「なんで二人がここにっ」
「瑞希の様子がおかしいから気になって」
 いきなり現れた幼なじみ二人に本気で驚いている隆二に、健太はのほほんとした様で返事をする。
「ご、ごめんなさい兄さん、お邪魔になるかと思うと言い出せなくて」
「あぁ謝らないで。気づかなかった僕も悪かったんだし……」
 隆二がそんな兄妹の様子を微笑ましく見つめ、そのまままだしゃがんだままの加奈子に視線を向けた。
「で、この年になってこそこそと何してるんだよお前」
「う……」
 何も言い返せなかった。
「で、二人してこんなところで何してたの?」
 黙りきった加奈子に代わって、健太が隆二たちへ訊ねる。
「にゃー」
「え?」
 答えが返ってくるよりも早く、事態の原因が己の存在を主張した。



「つまりな、具合の悪そうな猫を抱えて一人戸惑ってた瑞希を見つけたから、一緒に看病してたんだよ」
「兄さんがずっと勉強していたのは知っていたので、どうしても相談できなくて……。でも私だけでは何をしていいかも分からず……」
「んでまぁたまたま出会った俺が一緒に面倒見てたの」
「なるほどね」
 あらましを説明した二人に、健太が納得したと深くうなずいた。
 つまり二人は、男女的な関係で出会っていたわけでなく、猫救出隊として活動していただけだと。
 そこまで認識して、加奈子の中に少しの安堵と、苛立ちが芽生えた。
 そういったことなら何も二人だけで片付けようとはせずに、自分にも声をかければ良かったのだ。
 それなら変な誤解をせずにすんだというのに。
「なんで私に教えてくれなかったのよ」
「いや聞かれなかったしな」
 その通りだった。
 最初に見かけた時は結局声もかけていなかったのだ。
「そ、それにしたって相談とか……」
「あー……」
 加奈子が言いつのると、隆二は少し言葉を濁した。
 一体なんなのかと、問い詰めるように見つめると、罰の悪そうな顔で隆二は言葉を漏らす。
「それにその、あんまりぐったりした動物とかさ、お前に見せるのもどうかと思って。昔のこと、まだ気にしてるだろ」
「それは……」
 今でもふとよみがえる、幼い頃の記憶。
 愛犬をなくしたときの想いは、今でも加奈子の心を蝕んでいた。
 とはいえ、隆二がそのことを気にしていたなんて。
「健太に言うことは考えたんだけど、瑞希の思いを無駄にするのもどうかと想ってさ」
「隆二らしいね。瑞希のことありがとう」
 穏やかに話す隆二たちを見て、加奈子は一人恥じる思いで地面を見つめる。
 勝手に誤解して嫉妬して、それでも気遣われたことが嬉しいとも思ってしまう自分がいて。
 正反対の感情が交じりあう感覚が心の中に渦巻いて。
「加奈子?」
「な、なに!?」
「悪かったよ、一言も言わないで。次からはお前にも声かけるから」
「あ、謝らないでよ! べ、別にそんなこと気にするほど子供じゃないんだから……」
 先に謝られたら、こっちの立場がないじゃないの。
「私も、ごめん。ちゃんと聞けば良かったのよね」
「別に、俺は気にしないけど」
「もう、そこは素直に謝罪を受け入れなさいよっ」
「……なんで怒ってるんだよ」
「ははは」
 加奈子と隆二のやりとりに、健太が声を出して笑う。
 その横で瑞希も同じような笑みを浮かべていた。
「そ、それで、その子どうするの?」
「にゃー」
 なんだか恥ずかしくなって、話題を猫に戻す。
 具合が悪いという話だったが、今は調子がよくなったようだ。
 器用に隆二の体を登っている。
「とりあえずうちで預かるよ」
 猫に手を添えながら、隆二が言う。
「昨日一晩かけて親父たちには話つけたし、わっ」
 突然頬をなめられて、隆二が声を上げた。
「隆二が飼うなら名前決めないとね。何か考えてあるの?」
「三毛丸」
「いや三毛猫じゃないでしょ」
 隆二をアスレチックにしている猫の毛色は、どう見ても黒かった。
「じゃあ、黒丸」
「まんますぎるわよ!」
「なんでだよ! いいじゃん黒丸」
「にゃーお」
「ほら、本人も気に入ってるし」
「抗議してるの間違いじゃないの。ねぇ瑞希ちゃん」
「えっと、私は、その……」
「はいはい二人ともその辺にね」
「健太はどう思うよ、黒丸」
「え? とりえあず丸から一度離れたら?」
「にゃー」

 ――林の中で、四人と一匹の愉快な話し声が、いつまでも続いていた。

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