初出 2014.04.11
こうして机に向かい、ペンを持つものも最後のことになるだろう。
この行為に意味があるかは分からない。
だけど、やらなければいけないと思うのだ。
おおよそ幼い頃から、晴れというものを見ない人生だった。
空の雲には切れ目などなく、絶えず地上に雨を送り込む装置のようだ。
大人たちは晴れのない空に嘆き通したが、晴れを知らない私にはその感情が理解できなかった。
雨が続けば水嵩が増える。各地の川が氾濫し、湖が許容量を越え、海が土地を飲み込み始めている。
私の故郷も水に沈んだ。
12年間過ごした土地がなくなるということにも、私は特に何も思わなかった。だって、いつかそうなるのが、分かり切っていたのだから。
そして、私は気にしなかったのだけど、大人たちはそうではなかったらしい。
雨をやませるための研究が、ずっと行われていた。長い年月をかけた学者たちの成果は、つい先日ようやく報われることになる。いや、ある意味では彼らの人生の悲惨さを付け足してしまったとも言える。
なぜなら雨の理由はそんな科学的実証がとれるものではなかったし、発見したのも学者たちではなかったのだから。
発見したのは、沈んだ町の物を盗むハンターの一人だった。
「深海にドラゴンがいる。おそらく、あれが大雨の原因だ」
社会的底辺たる彼の言葉は、夢物語すぎて誰にも受け入れられないかに思えた。
しかし恐ろしいほど太陽(というものがあるらしい)の光にあこがれた大人たちはすぐに実態を調べるための派遣部隊を出した。それだけせっぱ詰まっていた、ということだろう。
派遣部隊の行動は迅速だった。
すぐさまハンターの言葉にある場所に行くと、その「ドラゴン」の姿を見つけた。
おとぎ話によく見かける、二足歩行、大きな羽と尻尾、鋭い爪を持つドラゴンではなくて、蛇のような長い体で分厚いウロコを纏った存在だったという。
そして、派遣部隊の数人が攻撃を仕掛け帰らぬ人となった。
その報告を得て以降、日常はずいぶんと騒がしくなった。
毎日のようにニュースでは発見されたドラゴンのことが言われ続ける。何人もの学者があれが雨の原因だと断定したが、私にはどうしてそういう結果になったのかは理解できなかった。
街の大人たちもなにかにとりつかれたように、その話を繰り返し続けた。
中には過激な人もいて、ドラゴンを殺せと騒ぎ立てる人の姿も見た。
だけど、それは私たちには特に関係がなくて。
雨が降っているのが当たり前な子供たちにとっては、大人が何を必死になっているのか分からなかった。それを遠い世界のことのように、おとぎ話のように思っていた。
あの時までは。
「ドラゴンは贄を求めている」
ある学者が、そんなことを言った。
私たちは、昔話のようなその学者の戯言を、バカにして、笑っていたが、大人たちはそうじゃなかった。
あの時のハンターの言葉を信じたように、彼らは学者の言葉を信じてしまった。
その日から、大人たちは必死で生け贄探しを始めた。
やれ生娘がいい、赤子がいい、若い男がいい、老人がいい・・・・・・。
様々な候補が出たが、みな自分と関わりのない人物像を上げていたような気がする。その目で晴れ間が見たいから、自分が行くとは思ってもいなかった。
だからだろう。
最終的に生け贄の候補は、私たちのような晴れに固執していない若い世代が選ばれた。
私たち子供は、青空を知らないが故に大人たちの狂気に気づかなかった。
その結果、大人たちが決断をするそのときまで、無関心を貫いてしまった。
声を上げない勢力に対して、彼らの行動は迅速だった。
すぐに子供たちの中から生け贄の選抜がされることが決まり、私たちが騒動に気づいたときにはすでに取り返しのつかないことになっていた。誰もがあらがうこともできず、日々大人たちの目に晒され続ける。
選別の日が近付く。
笑い飛ばしながらも、概要のはっきりとしない選別にみなおびえていたように思う。
減ったとはいえ世界数万人の子供の中から、自分が選ばれるわけがない。
そういいながらも、みんなは大人たちの論議にじっと耳を傾ける。
男か、女か、年齢は、性格は、経歴は。
事実と、憶測と、根拠のない罵倒が私たちを襲った。
騒動から一ヶ月も立てば、次第に教室から子供が消える。誰にも見つからないように、隠れているみたいだと思った。
私の両親は、そんな中でも学校を休むことは許さなかった。もともと子育てに興味がなかったから、生け贄に選ばれてもかまわないと思ったのか。
学校は私以外にもそういう子が何人かいて、みんな心のどこかで自分が生け贄になるのかもしれないっと思っていたのだと思う。
だって私たちの味方に「大人」なんていないから。
守ってくれる「大人」なんていないから。
その予想は、しっかり当たっていた。
生け贄に選ばれたのは、私だった。
一緒に学校に行った子たちはそのことに涙を流してくれたけど、多分安堵の意味が大きいのだろう。
自分でなくてよかったという。
その日から、私の生活は変わった。
お役所の人が来て、両親にいくばくかの礼金を渡して私を引き取った。私の名前、顔、成績・・・・・・。そのすべてを世界の人に知れ渡る。一夜にして、私はこの世界の、おそらく歴史上の誰よりも人々に知られた人物になったことだろう。
生け贄の奉納は一週間後と言われた。
私は学校に行くこともなく、ただ人々の好奇の目に晒されるだけの生活を送り続けた。
何度かインタビューを受けたが、何を答えたのか覚えていない。ちゃんと同じことが答えられたかどうかも定かじゃない。
何もない部屋と、会見会場の往復で、私の心は消えかけていたのかもしれない。今こうして言葉を残せるのが奇跡だと思う。前日に休暇を設定した大人はいい判断をしている。
最後だからと強請ったペンとノートは、私に思考の機会を与えてくれた。
だから、こうして今起きたことを書き留めようと思ったのだ。
明日私は生け贄となり、この一生を終える。
世界から雨がなくなるかどうか、私には判断できないだろう。
これを書いたのは、その結果を知っている未来の誰かが遠い過去を思い出してくれればと思ったからだ。
このノートはこっそりどこかに隠して置こうと思う。
遠い遠い未来に届くように。
私の言葉が、未来への楔となるように。
祈るような言葉で、古びた手記は締めくくられていた。
教授が長い間のロードワークの末に手に入れたのは、かなり古く痛みきったノートで。その解読もしないままに、彼はまた旅へと出てしまった。 仕方なく自分の仕事の傍ら頑張って読んでは見たものの、やはりその全文を理解することはできなかった。
何度も繰り返される言葉の意味が自分にはどうしても分からないのだ。
はたして、「雨」とはどういうものなのだろうか。
空は今日も深い青を映している。
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