未来の暗示と最後の宴

2019年2月28日木曜日

短編小説

t f B! P L


初出 2014.04.05

 帰りたい。というより、相手をしたくない。
 ひっきりなしに現れる貴族たちに愛想笑いを浮かべながら、第七王子ジルベールはひっそりとそう思う。
 豪華な会場に、色とりどりの料理。参加者はすべて洗練された所作をする、高貴な身分にあるものたち。皆、美しい礼服に身を包みあちこちで談笑が繰り広げている。
 まさしく庶民がうらやむ豪華なパーティーだ。これが大衆演劇であればここから恋が生まれ、ここで皆から祝福されるような、そんな舞台。
 しかし、ジルベールにしてみればここは汚い権力の渦巻く魔境にしか見えなかった。
 パーティーの名目は、現国王の七十回目の誕生日。
 豪奢の振る舞いが大好きなかの王の宴と聞いて、多くの貴族たちも我こそはと大いに着飾ってこの場を訪れている。とはいえ誰もあんなよぼよぼ爺の歳数えを祝いに来たばかりではない。
「おぉジルベール王子。お久しぶりでございます」
 入れ代わり立ち替わりに自分の元を訪れる貴族を、ジルベールは内心のため息を隠して笑みを浮かべる。
 今もまた、だらしない腹をした男が、彼の所へとやってきていた。
「お久しぶりです。マルラン公はお元気そうですね」
「えぇもちろん。とはいえ、陛下にはかないませんがな」
 でっぷりとした腹をふるわせて、貴族は豪快に笑う。
 いつくたばってもおかしくない腹だと思ったが、もちろん口には出さない。
「しかしジルベール様も立派になられた。皇太子候補として申し分ない」
「まさか。私など兄上たちに比べれば」
 当代の王はもう先がない。そもそも通常であればもう引退してもいいような歳なのだ。つまり、おのずと貴族たちの関心は次代の王へと移る。
 王は子供の数こそ多いが、正妃の子は娘一人のみ。しかし、この国に女性王族への王位継承権は存在しない。となれば、候補になるのは側室の子のみとなる。
 子の数は全部で十二人。その中で男児はジルベールを含めて七人。
 他国の常識にのっとるのであれば、第一王子アルベルトが皇太子となるはずだが、この国では側室の子の王位継承権はは同列、というのが古くからの風潮であった。はるか昔、王となった側室の第一王子が、国を大きく荒らしたというのがその理由だ。
 たかが一例、との意見もあるが現第一王子アルベルトは女狂いの噂が絶えず、次王とするには不安の声が大きい。
 マルラン公は、赤ら顔を隠しもせずまくし立てる。
「何を言いますかたしかにアルベルト様たちも立派な王子ですが、私としてはジルベール王子のような方にこそ王にふさわしいと……」
「私には後ろ盾がないのですよ、マルラン公」
 それが目的なのだろうけど、とジルベールは胸の中で続けた。
 幼くして母を亡くしたジルベールには、後ろ盾となる貴族がいない。そもそも彼の母は現王に見初められただけの、ただの市民の女性である。もともと軽んじられるような存在でしかないのだ。彼の生活が今もなお豪華でいられるのはその身に王の血が流れている、それだけが理由だった。
「それに、私は若輩者です。王どころか一人の男としてもまだまだ未熟です。今の私ができることは、いつか兄上の補佐ができるように勉学に励むことぐらいですよ」
「……いやぁジルベール王子は傑物でございますな。そのような考え、私が王子と同じぐらいの歳にはきっと思いもしませんでしたよ」
 そう言って笑うマルラン公の笑みは、どこかしらじらしさが混ざる。下民の血が流れ、軽んじられる立場であるジルベールを担ごうとする貴族など所詮その程度だ。
「ですが、ジルベール様。もしあなたの気が少しでもお変わりになりましたらぜひお知らせください。私はあなたの助けになりたいのです」
 言いたいことだけ言うとマルラン公は大きな体を揺らして、宴の喧騒へと紛れていった。その後ろ姿を見て、ジルベールはほうと息を吐く。
 さっきから来る者来る者同じことばかり。
 どいつもこいつも中途半端貴族どもで、だからこそ自分などにすり寄って来るのだろう。
 確固たる後ろ盾はなく、またほかの王子たちと違って年若いジルベールは、貴族たちの傀儡候補だ。そのことはほかならぬ彼自身が、一番よく分かっている。
 帰りたい。
 この場についてから幾度となく抱いた思いを、ジルベールは心中だけでひっそりとつぶやいた。
 
 
「昨夜はどうでしたかジル様」
「楽しかった、なんて言うと思うか?」
 朝の支度をしにきた赤い髪の侍女に、ジルベールは遠慮なく悪態をついた。不愉快を全面に出したその様は、どこか年相応の子どもらしい。昨日の張り付けた笑顔と比べると、一目で彼がその人物に信頼をしているのがよく分かる。
 後ろ盾もなく、成人を迎えてもない。国にとっていなくても問題がない立場である彼は、この王宮離れの屋敷に少人数の、彼が心を許せる人物たちとだけで暮らしている。
 父親として子に愛情を注ぐことのない父王は、けれど子どもたちの要求にだけは敏感な人だった。よほど道の外れたことでなければ、子どもたちの希望はすぐに叶えられる。ここはそれを利用して手に入れた、ジルベールの城だ。
 赤い髪の侍女が、ジルベールを見て苦笑する。
「相変わらずですねジル様。私なんておいしいご飯が食べれるならそれだけで機嫌が直っちゃいますけど」
「お前はその食事をくだらない話でつぶされてもそう思うのか?」
「それはほら、ご飯にありつくための対価といいますか。食べれるならなんでもいいのですよ」
「……そんなに食べることが好きかアネット」
 もちろん、とアネットは得意げに胸を張る。短く切りそろえられた赤い髪が揺れるほどの力説ぶりだった。
「ジル様もいっぱい食べて大きくならないと。立派な大人の男を目指すのであればも少しこう……」
「背が低いという話はするな!」
 遠慮のない彼女の言葉に、ジルベールが怒鳴る。人の気にしていることを。
「大丈夫ですよジル様! ジル様だって頑張ればリオネル殿ぐらいの背丈になれますよ。多分」
「慰めているのか追い打ちをかけているのかどっちだ」
 別にジルベールとてそこまで言われるほど小柄ではないのだ。ただ近くに少し平均身長をオーバーした人物がいるだけであって。
 そうだ、自分は決して小さくない、だから大丈夫……。
 下を向いてぶつぶつをつぶやくジルベールを見ながら、アネットは満面の笑顔を浮かべる。大食漢だが有能な侍女である彼女のもっぱらの楽しみは、弟のような存在であるこの若い王子をからかうことにあった。
「失礼いたします、ジルベール様。……アネット! 貴様いつまでそこにいるつもりだ!」
「う、ベレニスっ」
 そのアネット至福の時間を打ち破ったのは、扉を豪快に開け放ち中へと入ってきた青い侍女だった。長い髪を団子にまとめた目つきのするどい女性である。
「どうした、ベレニス」
 ショックから立ち直ったジルベールが、彼女に尋ねた。ベレニスは先ほどまでに見せていた怒気を抑え、普段通りの模範的態度でそれに応えた。
「はい、先ほど厨房から一部の食材が消え失せているとの報告がありまして、それでアネットを探しに」
「あぁなるほど」
「そ、それだけで納得しないでくださいよジル様! べレニスもそれで私を疑わないでよ!」
「別に私はまだ疑ってはいなかったが?」
 冷ややかなべレニスの言葉に、アネットはたじろぐ。墓穴を掘る、とはまさしくこのことだ。
「全く貴様は……。ジルベール様の温情がなければとっくの昔に牢にぶち込まれていてもおかしくないのだぞ」
「だ、だってほら、どうしても、ね?」
「ね、ではない! 貴様のやったことは窃盗と同じことだぞ!」
 目の前で滔々と続くべレニスの説教に、ジルベールは苦笑する。母の代から仕えてくれた優秀な侍女たちではあるが、少しばかり自由すぎるのが難点だった。
 むろん、だからこそジルベールはそんな彼女たちを好ましく思っていた。
「やっぱりここにいましたね」
 アネットとべレニスの争いを、おっとりとした声が遮る。
 声の方を見れば緑のスカートを揺らしながら一人の女性が部屋の中へと入ってくるところだった。
「ダメでしょう二人共。ジルベール様のお部屋で言い争いだなんて」
「、……セリア」
 もっともなことを言われて、アネットとべレニスは黙り込む。それを見てから緑の彼女はにっこりと微笑んだ。一見とろくどんくさそうな彼女であるが、この屋敷の三人の侍女たちの中では一番の年長者でもある。
「すみませんジルベール様。お騒がしくしてしまったようで」
「セリアが謝ることじゃない。見ていて楽しかったしな」
「それはよかった」
 言うなり、彼女は二人の同僚へと向き直った。微笑みはそのままだが、目が笑っていない。
「え、っとセリアその……」
「……」
 蛇に睨まれた蛙、という言葉が東洋の国にはあるという。ジルベールは三人の侍女たちを見ながら、そんなことを思い出した。
「アネット、あなたは今日一日屋敷中の燭台の掃除をお願いします」
「えっ!? 数多いしあれはそもそも一人でするような……」
 反論するアネットをセリアは黙殺する。彼女の言葉に二言はない。お願いする、といったら相手がやり終えるまで赦しはしないだろう。
「べレニス、あなたは早くいつもの仕事に戻ってください。時間は無駄にするものではありません」
「はい。すみませんセリア」
 ふてくされているアネットとは違い、べレニスは沈痛な面持ちで彼女に頭を下げた。
「さて、それではそろそろ失礼しますね」
 セリアは二人の背中を軽く押しながら部屋を出ようとし、そこでふと振り返る。
「そういえば、今日はリオネル様が国境からご帰還なされるようですよ。予定よりお早いとのことで兵たちが噂しておりました」 
「本当か」
 去り際のセリアがもたらした情報は、ジルベールが歓喜する。彼にとって、昨夜の不快感がすべて帳消しになってあまりあるぐらいの吉報であった。
「えぇ。帰還したらすぐ来られるとのことでしたから、おそらく午後のお茶には間に合うんじゃないでしょうか」
 その言葉に、ジルベールはうれしそうにうなずいた。
「そうか、なら急いで今日の課題を終わらせることにしよう」
 
 
 リオネルという男は、この国に使える騎士である。
 貴族としての地位は低く、次男という立場から社交の場では名が知られてないが、剣の腕に関してはちらほらと名前を聞く、そういう人物だった。
「お久しぶりでございます、ジルベール様」
「久しぶりだなリオネル。国境はどうだった?」
 実に半年ぶりの再会となるが、リオネルに変わった様子はなさそうだった。
 前に会った時と変わらぬ美しい銀の髪と、鍛えられた肉体はそのすべてをもって、彼自身を証明している。その目立ちの整った顔立ちは、王宮侍女たちにも人気だと、前にアネットが言っていた。
「特に変わったことはありませんでしたよ。今のところ、平和なものです」
 セリアが用意してくれたお茶を飲みながら、リオネルはそう答える。
「あぁ、ただ今回は新人騎士の訓練も兼ねてましたから、なかなかおもしろかったです」
「リオネルが師事したのであれば、新人たちもたまったものではないだろうな」
 普段は物腰の柔らかく、紳士の心を持つ彼だがひとたび教官の立場になれば、人が変わることをジルベールはよく知っていた。
 なにせ一度剣の特訓がしたいとせがみ、体験した身である。あの後はまる二日ほど恐怖で顔を見ることができなかった。ちなみに本人としては不本意な結果だったようで、その後一人で悲しそうな顔をしていたとベレニスから聞いた。
「……まぁ、何人か逃げ出しかけましたが、中には最後まで向かってくる者もいましたよ。彼はいい騎士になるでしょうね」
「お前がそう言うのなら、そうなんだろうな」
 それから、リオネルは離れていた半年間のことをジルベールにはなして聞かせた。
 基本的に離宮から出ることないジルベールにとって、彼のもたらす情報はどんなささいなことでも異界の物語のように聞こえる。望もうと思っても、手に入れることは叶わないという点で両者に共通していた。 
「……僕も騎士になりたかったな」
 ぽつりと、ジルベールの口からそんな言葉がこぼれ落ちた。
「ジルベール様」
「分かっている。わざわざ王族が軍事に携わるなど、この国ではありえないし、たとえなったとしてもそれは僕の望みとは違うところにある」
 困った顔をするリオネルに、ジルベールはそう応える。
 二人の間に、しばしの沈黙が流れた。風が窓をノックする音が耳に届く。
「ジルベール様は、――王子として生まれたことを嫌っておいでですか」
「別にそうは思わない。王子として生まれたからこその今の僕だ」
 衣食住が保証され、最高位の教育を受けることができ、こうしてお茶をなんて優雅にできるのも、すべては彼が王子であるがこそ。
 そうでない自分は想像できないし、おそらくそれはもはや自分ではないのだろうと言うこともジルベールはよくわかっていた。
 だから、今の生活に不満などありようもない。
「だがなリオネル」
 動揺する彼の瞳をしっかりと見つめ、ジルベールは言う。
「友人に敬語を使われるような時はいささかうっとうしい称号だと思う。お前、僕が前に言ったことを忘れているだろう」
 いつ気づくかと待っていたのに、とからかうように彼は続けた。
 それを聞いて、リオネルの目がわかりやすく泳ぐ。
「すみま……まないジル。でも俺やっぱりこういうのは……」
「別に今は僕ら二人しかいないんだ。だいたい初めてあった頃のお前はさんざんな物言いだっただろうに」
「忘れてくださいごめんなさい」
 数年前のことを引き合いに出され、リオネルがうろたえた。
 今でこそ礼節が衣を着ているような男だが、昔はそれこそやんちゃな子供で、親の連れで来た王宮を勝手に歩き回ったあげく離宮までやってきてそこの主を連れだし、あやうく王の庭で遭難ということをしでかした過去がある。ベレニスが早々に発見してくれなければ、処罰されても文句はいえなかっただろう。
 そのことを知っているのは当人であるジルベールと、彼付きの侍女たちだけだ。
「なぜ謝る。はじめは僕も驚いたが、あれはあれで楽しかった」
 下心しかないほかの貴族子弟とは違う彼の行動が、ジルベールにもたらした恩恵というものは計り知れない。それは彼自身と、彼の周りにいる人々がみな認めた事実だった。
「アネットもベレニスもセリアも、もちろんお前も、僕にとってはかけがえのない大事な人だ。お前たちと出会えたからこそ、僕は王子でよかったと思えたぐらいに」
 ジルベールの気持ちに嘘はない。彼は王子としての今の生活を、心から愛していた。
「僕が王だったとしたら、お前を一の騎士にしただろうな」
「……ジルが王にならないとしても、俺はお前の一番の味方だ」
 リオネルの言葉に、ジルベールは大きく微笑んだ。
「なら、恐れることはなにもないな」
 
 
 ガラスが割れ、鉄の臭いが流れ込む。
 丁寧に手入れされたカーペットが、土埃を絡め取った。
「なぜだっ、なんでっ……!」
 崩壊した楽園の中で、彼は声をあらげる。
 どこかから運ばれた煙は、今の状況を裏付けるに十分な働きをした。
「どうしてっ」
 傷だらけの少年が目の前の男に叫ぶ。
 体の痛みよりも、心の痛みのほうがずっと強い。
「あなたは、王族ですから。見逃すわけにはいかないんです」
 銀の髪の青年は、静かに、はっきりと、彼に応える。
「ちがうっ、なぜ……なぜお前なんだっ!」
 彼がどんな表情をしているのかが、分からない。
 痛みによってかすんだ瞳では、彼の心はとらえられない。
「すみませんジルベール様」
 最後に聞いた友の声は、ひどく冷たいもので。
 その事実から逃げたくて、ジルベールは自身の思考を手放した。
 
 
 長く栄華を誇った王国は、一夜にして王宮を焼かれ隣国の支配下に置かれることとなる。
 抱く王を失い、失意にくれる民が一人の男の御旗に集うのはまだ当分先の話。

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