初出 2012.10.20 友人リクエスト「イヤホン越しに聞こえる話し声に耳を傾ける話」
「もう、化粧する暇なかったからスッピンで来ちゃったわ。満員電車じゃなかったらセットできるのに」
満員電車じゃなくても自重すべきだと思うよ。
「景気悪そうな顔してたらたらしてんじゃない! まったく、近頃の若いもんは覇気が足りない」
実際景気悪いんだからしょうがないじゃない。
「あーいらつくはらたつ。なんであんな奴いるのようっとうしい」
知らないよそんなの。
軽快な音楽をすり抜ける言葉の数々に、私は大きくため息をついた。
イヤホンをしているというのに、周りの声がうるさすぎる。
電車通学だから仕方ないが、この移動時間だけは何とかしてくれないかと思う。
とはいえ別に車内のマナーが悪いというわけではない。
ラッシュ時の日本電車らしく人が押しつぶれそうなぐらい詰まってはいるものの、みな不干渉を保ち静かだ。
ではさきほどの声はなんなのか。
私も昔は出所に悩んだものだが、さすがにこの歳になるとなんとなく想像はできる。
要するにあれは、人々の思念のようなものらしい。
つまりは心の声。私には幼い頃から聞こえていたが、ほとんどの人には聞こえないもの。
小さい頃は大変だった。ちょっと聞こえたことを呟いただけで、周りからは化け物を見る目を向けられた。
当然クラスメイトからいじめられたし、教師たちにも変な顔をする。
幸い両親は信じこそしなかったものの、化け物扱いはしなかったからそこは感謝している。
そんな幼少期を過ごした私は、小学校高学年、いや下手したらもっと早くから処世術を身につける羽目になった。
そうでなければ私はきっと人として社会に生きることができなかっただろう。
今ではそこそこの友人もおり、成績も社会からの評価もそこそこという普通の女子高生生活とやらを送っている。
他人の心を覗きながら、だが。
心の声というのは実際の声よりもはるかに通りが良く、耳栓をしても、イヤホンから大音量で音楽を流してもばっちり頭へと入ってくる。
それでも何か作業をしているときはまだいい。
そちらに集中していれば内容は頭に入ってこない。
面倒なのは、こういう何もすることがない時だ。
音楽に集中しようにも、この程度はいとも簡単に飛び越えてくる。
特にこの時間は誰しも気分が下がるらしく、頭に入ってくる内容はネガティブなものばかりだ。
(うっとうしい)
声の持ち主たちに聞こえるように、脳内で呟いてみる。
もちろん、誰も何も言わない。聞こえてすらいないんだろうから当然だ。
電車が大きく揺れて停止する。
アナウンスはイヤホンからの音にかき消された。
心の声以外には、この耳栓はとても有効だった。
私が降りる駅はもう少し先。
ここはそこそこ大きな駅だから降りる人が多く、私はその人波に飲まれないようにその場でしっかりと踏みとどまった。
早く扉が閉まればいいのに、そう思って出入り口を見ていたら一組の男女が乗り込んだのが見えた。
女の子のほうはたぶん私と同じぐらい。
制服は来てないけど、高校生だろうか。今は文化祭や体育祭のシーズンだから、振替休日なのかもしれない。
男性の方は・・・・・・いくつだろう。
私よりは年上だと思うけど、どれくらい開いてるのか分からない。
二十から三十、もしかしたらもう少し幅広いかもしれない。
見た目からは判断できない、不思議な感じの人だ。
私は思わずその二人に釘付けになった。
通勤、通学ラッシュの汗臭さの中で、その二人だけ輝いているのように私には思えたのだ。
不思議な雰囲気を持つ男性と、その人と一緒にいる少女。
恋人同士なのだろうか。とても仲がよさそうだ。
好奇心が激しく疼く。
耳から流れる音楽を無視して、私は二人の会話に耳を傾ける。
「すごい人の量だね。これは大変だ」
「普段から乗ってたら大したことないし。あんたはもう少し外に出た方がいい」
無遠慮な少女の言葉に、男性は小さく笑った。
その笑顔が子どもみたいに無邪気で、私はさらに耳に意識を集中させる。
(……あれ)
そこで、初めて気づいた。
彼らの声が聞こえない。
実際の会話はともかく、心の声がいくら集中しても聞こえないのだ。
私はますます二人に注目した。
こんな経験は初めてで、私は必死だった。
(なにか、もっとなにか……)
知りたい、暴きたい。
――あの人の心が見たい。
その時、男性と目があった。
私の中で、パリンという音が響いた。
「○×駅、○×駅です。××線へお乗り換えの方は――」
はっと気づくと、私はいつもの駅へ降り立っていた。
いつ電車から降りたのか、そもそも何をしていたのか、一切思い出せない。
思い出せない?
ただ電車に乗って、降りるべき駅で降りた、それだけじゃないか。
何を思い出す必要があるんだろう。
「あ、いけない、遅刻するっ」
ホームにある時計を見て、私は改札口に向けて走り出す。
すれ違った人から何か言われた気もしたが、イヤホンの音楽に阻まれて意味は分からなかった。
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